三国志・蜀の猛将・魏延の一騎打ちの勝率の低さに驚き!

三国志・蜀の猛将・魏延の一騎打ちの勝率の低さに驚き!

蜀を代表する猛将「魏延」。劉備(玄徳)からも、諸葛亮(孔明)からも認められた武勇を誇りましたが、意外にも三国志演義での一騎打ちの勝率はかなり低いのです。


魏延の昇進

魏延の昇進

魏延の昇進

劉備(玄徳)が荊州に滞在していた頃から仕えるようになり、益州侵攻でたびたび戦功を立てて、一隊長から牙門将軍に昇進します。
さらに劉備(玄徳)が漢中王に即位すると鎮遠将軍に昇進し、漢中の太守に抜擢されました。また、劉備(玄徳)が蜀漢国の皇帝に即位した後、鎮北将軍に昇進しています。
諸葛亮(孔明)が漢中に駐屯するようになると、督前部に任じられると共に、丞相司馬と涼州刺史を兼務することになります。
そして230年には、魏の雍州刺史・郭淮を破った功績によって、前軍師・征西大将軍に昇進し、仮節の待遇を与えられ、南鄭侯の爵位を得ます。

こうして魏延は蜀の大黒柱となっていくのです。
まさに、戦場で幾度も武功をあげてきた歴戦の勇です。関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲といった五虎大将軍らが亡くなっていた後、蜀において最も戦の経験が豊富で、勇猛だったのが魏延でした。

魏延の武勇

魏延の武勇

魏延の武勇

魏延の武勇は、三国志ファンであれば誰もが認めるところでしょう。
諸葛亮(孔明)も魏延のプライドの高さや扱いにくさを危惧しながらも、その武勇を認めており、北伐の中心武将として重用しています。
魏延自身も自分が蜀を支えているという自負があったことでしょう。諸葛亮(孔明)に戦略面で意見したり、諸葛亮(孔明)が五丈原の陣内で病没した際には自分が中心になって北伐を続行しようと試みたりもしています。

そんな猛将・魏延ですが、三国志演義において、戦場での一騎打ちの勝率が、他の武将よりも低いというのです。本当でしょうか?
一騎打ちの勝率は、同じ蜀に属する趙雲の三分の一、張飛の半分という統計もあります。
五虎大将軍に匹敵する武勇を誇る魏延の一騎打ちの勝率がそんなに低いなんて、とても信じられません。

魏延の一騎打ちの経歴(益州侵攻)

魏延の一騎打ちの経歴(益州侵攻)

魏延の一騎打ちの経歴(益州侵攻)

魏延の三国志演義登場は第41回になります。曹操軍が荊州に侵攻するのに対し、劉表の後継者である劉琮は降伏します。劉備(玄徳)はそれに異を唱えるために城下を訪れますが、追い返されてしまいます。
城内にいた魏延はここで劉備(玄徳)に内応しようとしましたが、文聘に抵抗され失敗。一騎打ちは引き分けに終わり、魏延は落ち延びていきます。

しばらく活躍する機会のない魏延ですが、劉備(玄徳)の配下となり、益州を攻めた頃から名前がよく登場するようになります。
まずは劉璋配下の武将・冷苞と勝負。三十合あまりの打ち合いますが引き分け。その後、再戦があり、ここでは魏延が勝利、冷苞を捕縛しました。
続いて劉璋の援軍として登場する張魯配下の武将・楊柏と対戦。十数合打ち合って撃退。勝利を収めます。
さらに馬岱とも戦い、優勢な展開を進めますが、馬岱は偽りの退却で魏延の隙を突き、魏延の肘を射抜くことに成功。魏延は敗北します。どうやら魏延は馬岱との対戦の相性はよくないようです。
第72回では漢中を巡る曹操との戦いで、龐徳とも一騎打ちを演じており、初戦は引き分け、再戦した際には撃退されました。魏延の一分け一敗です。

魏延の一騎打ちの経歴(南蛮平定)

魏延の一騎打ちの経歴(南蛮平定)

魏延の一騎打ちの経歴(南蛮平定)

第87回以降は諸葛亮(孔明)に従い、南蛮平定戦で活躍を見せます。
まずは越嶲郡の高定配下の猛将・鄂煥と対戦、魏延に策があり、数合打ち合った後にわざと逃げて鄂煥をおびき出します。初戦は引き分けますが、深追いしてきた鄂煥を王平・張翼と協力して捕縛し(すでに一騎打ちではないですが)勝利。

第90回では南蛮の王・孟獲の妻である祝融と対戦。数合打ち合ってわざと逃げ出す策を二日も続けることになります。二度の引き分けの後、祝融を捕らえたのは馬岱でした。ここではおいしいところを馬岱に持っていかれています。

魏延の一騎打ちの経歴(北伐)

魏延の一騎打ちの経歴(北伐)

魏延の一騎打ちの経歴(北伐)

北伐に出陣した魏延は、当初は魏に属していた姜維と一騎打ちを演じました。ここでも魏延はわざと逃げ出す策で数合しか打ち合っていません。またまた引き分け。
続いて魏の宗族・曹遵と戦い、三合で討ち取りました。ここは魏延の勝利です。
魏の猛将・王双が追撃してきた際も魏延はその武勇を示し、一刀両断しています。

第101回では、魏の中でもトップクラスに入る戦上手の張郃と対戦。まずはわざと逃げ出す策で数合のみ打ち合い引き分け、張郃を誘導。しかし、その後の一騎打ちでは怒り心頭の張郃の攻撃に圧倒され、敗走しています。魏延の一分け一敗です。
さらに第103回ではあの司馬懿とも一騎打ちをしており、わざと逃げ出す策をとって、三合打ち合って魏延は退いています。司馬懿とも引き分けですね。

諸葛亮(孔明)の病没後は仲の悪い楊儀の指揮下に入ることを拒み、これを妨害するようになります。ここで楊儀が派遣した王平と戦い、王平がわざと逃げ出す策をとっています。一騎打ちは引き分けですが、魏延の配下の兵の多くが離反しました。
その後、魏延は楊儀の軍と向き合うことになりますが、「誰かわしを殺す勇気のある者はいるか」と叫んだところを、背後から配下だった馬岱に斬られて死んでしまいます。一騎打ちというよりも不意打ちですが、馬岱に生涯二敗目を喫したところで、魏延は討ち取られてしまうのです。

まとめ・勝率26.3%

まとめ・勝率26.3%

まとめ・勝率26.3%

ということで、魏延の一騎打ちと呼べる場面は、三国志演義には19回登場します。魏延が勝利したのは、その中で5回です。4敗しています。
敵をおびき出す策でわざと逃走することも多かったので、引き分けは10回となっています。引き分ける確率が50%以上ですね。
勝率は26.3%ですから、4回に一度勝利するペースですね。

これが趙雲になると勝率がおよそ80%になります。ちなみに魏延のライバルである馬岱はとても勝率が高く、およそ90%です。魏延にも二度勝っています。

まあ、一騎打ち自体が三国志演義の演出であり、史実通りではありませんから、信憑性には問題がありますが、三国志演義での魏延の活躍は、やはり五虎大将軍のメンバー以下の設定に抑えられているのです。

これにはやはり、蜀を裏切って三族皆殺しになった魏延の最期が大きな影響を与えているのかもしれませんね。三国志演義としては、魏延よりも忠臣である馬岱の方に活躍の場を与えたようです。
ちなみに三国志正史では配下に見限られた魏延は親子で逃亡を図り、追撃してきた馬岱によって討ち取られたと記されています。





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