横暴で冷徹な曹魏のプリンス曹丕の駄々っ子説!?

横暴で冷徹な曹魏のプリンス曹丕の駄々っ子説!?

父である武帝・曹操に対し、自らを文帝と称した魏王朝・曹丕子桓(そう・ひ・しかん)。文学者としても知られる彼の素顔について調べてみたら、ダークなエピソードがざっくざく出てきましたので、ご覧ください!


天が三物以上を与えたプリンス!?その素顔は……

魏の創始者・曹操と卞氏の長子として生まれ、形骸化していた漢王朝に引導を渡し、魏の初代皇帝となった曹丕子桓。8歳にして巧みに文章を綴り、後世にて父・曹操、弟・曹植と並び「三曹」と賞賛された文人で、その詩賦は日本の漢文の教科書にも度々取り上げられるほどです。騎射や剣術にも秀でた文武両道の武将でもあり、また、彼の在位期間はあの蜀漢の軍師・諸葛亮孔明が北伐を成し遂げられなかったほど、治世を充実させていました。
詩人、武芸者、政治家、それぞれの才能は人間性と分けて考えるべきでしょう。とはいえあえて申し上げますと、曹丕の人間性は冷酷で残忍としか表現のしようがありません。気に食わない奴はいびり倒す、そんな人物だったのです。

身内イビラー・曹丕の主な被害者リスト

丁儀正礼(てい・ぎ・せいれい)

丁儀はやぶにらみで容貌こそ整っていなかったものの、文才に優れ、その才能を曹操からも評価されていました。そこで曹操は曹丕の異母姉を丁儀に嫁がせようとしていました。丁儀の父・丁沖は曹操の旧友であり功臣。決して不釣合いな縁談ではありませんでした。しかしこれを知った曹丕が
「え?あんなブサメンのところに姉上を?可哀想すぎません?俺だってあんなのと親戚になるのは嫌ですよ……もっとふさわしい男を選ぶべきです!」
と反対。これに曹操も同意(オイ)、かくして縁談はお釈迦に。これを根に持ったのか、丁儀は曹丕の弟・曹植に仕え、彼が後継者になれるよう奔走しました。
その後、丁儀の有能ぶりと人柄を再確認した曹操は、
「子桓にしてやられた!目が悪かろうが何だろうが関係なかった……お前を娘婿にするべきだったよ……」
と激しく悔いたのだとか。
曹植との後継者争いに勝利し、王位に即位した曹丕は、曹植派であったという理由だけて、丁儀とその弟を逮捕して処刑。別に何もしていないのに、ですよ!?完全に逆恨みじゃないですか……。

甄氏(しんし)

初めは袁紹の次男・袁煕の妻であった甄氏。曹操が冀州を攻め落としたとき、乗り込んだ袁紹の屋敷にいた甄氏の美しさに一目惚れ。妻として娶り、寵愛します。
しかし、時が経つにつれて次第に気持ちは薄れていき、他の妻たちへとその愛が移ってしまいました。これを悲しんだ甄氏は曹丕に恨み言を述べました。言ってみればやきもちでしょうね。気分を害した曹丕、なんと彼女に自殺を命じるのです!手篭めにしといて飽きたら死ねって最低だ……。「流石に言いすぎた!」と後悔し、自殺を止めようと使者を追いましたが間に合わず。甄氏は帰らぬ人となりました。
甄氏との間に生まれた長男・曹叡(そう・えい)は、「お前、本当に俺の子か?」と疑われ続けたのだそうです。お父さんそういうのやめたげて……。

于禁文則(う・きん・ぶんそく)

曹操の代から魏に仕えていた忠臣・于禁は、樊城の戦いで蜀漢の関羽に投降して捕虜となり、関羽が呉の呂蒙に撃たれたあと、孫権に救われ、賓客としてもてなされました。しかし呉の文官・虞翻(ぐ・ほん)から日々罵倒され続けて「見せしめに殺せ」とまで言われ、孫権がそれを退けたものの于禁はげっそり。
魏と呉の講話が深まり、部下たちと共に魏に帰還することになった于禁。やつれ細り、白髪だらけになった于禁に引見した曹丕は、その辛かったであろう捕虜生活を労い、温かく出迎えました。そして
「そなたの帰りを待ちわびていた先帝にも、是非報告をして欲しい」
と、曹操の墓を参るように命じました。そこで于禁が目にしたのは……樊城の戦いで勝ち誇る関羽とに、惨めたらしく命乞いをする于禁の姿が描かれた絵だったのです!そう、つまりは労いも温かな出迎えも、全てはこれの前フリ。于禁とて一軍の将、3万もの部下やその家族の身を案じた結果、苦渋の選択として投降したのかもしれないというのに……。于禁は失意によって病に倒れ、数年のうちにこの世を去りました。
これだけではいざ知らず、曹丕は于禁に「厲侯」という諡号を贈りました。これは「罪なきものを殺す疫病神」というような意味。死んでまで于禁を嘲笑し続けたわけです。というか曹丕、お前が言うな!

どうして?曹丕が歪んでしまった理由

その他の被害者は、

・曹操:死後、側室たちを奪われる。
・曹植:権力争いの後、生涯左遷。
・曹洪:借金を断ったら恨まれ、難癖つけられて処刑されかかる。
・張繍:敵対していたときに曹丕の異母兄を殺したため、死ぬまで嫌味を言われ続ける(自殺説あり)。
・楊俊:曹植派であったことから、「担当している市場が閑散としている」という難癖を付けられ死刑。
・夏侯尚:愛妾を曹丕に殺された衝撃で精神を病み、屍体愛性癖に目覚めた挙句、病死。
・戴陵:遊んでばかりの曹丕を諌めたところ、処刑されかかる。

ざっと挙げただけでもこれだけいます。「気に入らない奴はいびり倒す」と前述しましたが、もしかしたら手当たり次第だったのかもしれません。

そもそもどうして曹丕はこんなに横暴な性格になってしまったのでしょうか?
こちらも前述しましたが、曹丕と同母弟の曹植は、父・曹操から豊かな文才を共に受け継ぎました。そして曹操は、二人の文才を比べて曹植を評価、より深い愛情を注ぎました。幼い頃から後継者としての教育を受け、時として子どもらしさも押し殺してまで学問や武芸に励んでいた曹丕からしたら、自由気ままに暮らしている弟が自分より父親から愛されていることが、どこか面白くなかったのかもしれません。大好きな父親に褒められたい、愛されたい、認められたい……そんな気持ちが募りに募って、彼の心は歪んでしまったのではないか、と筆者は感じました。
要は「みんな、僕を見てみて構って可愛がって!」な駄々っ子。そう、先のエピソードを駄々っ子っぽく
「お姉ちゃんの旦那さんは僕が決めるんだ!お前なんて認めないもん!」
「甄ちゃんのバカバカ!ちょっと他の女の子に目移りしただけで僕を疑うなんてひどい!」(甄は姓だろというツッコミはご勘弁を)
「降参してパパのこと悲しませた文則さんなんて嫌いだよ!僕だって信じてたのに!」
なーんて書けば可愛……くないですね。
側室を奪ったこともあり、あの世で父である曹操様にとっぷり絞られたのではないでしょうか……。

横暴・曹丕の意外な一面?でも……

さて、そんな横暴駄々っ子・曹丕に関する心温まるエピソードをご紹介しますね。
曹操の末子・曹幹は、3歳のときに母を亡くしています。その2年後には、父である曹操の病が重くなり、危篤状態になりました。曹操は曹幹の異母兄である曹丕に、「この子は5歳にして両親を失おうとしている。よろしく頼む」と涙ながらに託しました。そして曹操が死去すると、曹丕は曹幹を傍に置き、どの弟たちよりも厚遇したのだとか。また曹幹が30歳離れた曹丕のことを「お父さん」と呼ぶので、「私はお前の兄だよ」と不憫に思い涙を流したそうです。
曹丕様、とってもいいところある!素敵なお兄ちゃんじゃないですか!とはいえ横暴は褒められたものではありません。それはそれ、これはこれ、ですよね。

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