どうして?理不尽な目に遭った悲劇の武将たち

どうして?理不尽な目に遭った悲劇の武将たち

三国志演義で活躍した人物の中には、忠義を尽くしたにも関わらず理不尽な目に遭った者もいます。三国志の有名人はもはや英雄という位置づけですが、そんな彼らにどんなことをされたのでしょうか?


張飛に鞭を打たれた范橿と張達

張飛に鞭を打たれた范橿と張達

張飛に鞭を打たれた范橿と張達

220年代、関羽が殺害されるというショッキングな出来事が起こりました。劉備(玄徳)はこれに憤怒し、殺害した呉に対し仇討ちを始めます。

このため、蜀の内部は混乱しました。義兄弟の張飛も憤怒していたため、「今すぐ出陣しろ」と指示します。
諸葛亮ら部下たちは、劉備(玄徳)や張飛の怒りを鎮めるのに苦労しました。

なかでも范橿(はんりょう)と張達は張飛の配下だったため、真っ先に命令を受けることとなります。2人が「猶予が欲しい」と進言すると、張飛がさらに怒って彼らを鞭で打ちました。しかも、「期日までに用意できないと殺すぞ」と脅したのです。

張飛がもう少し冷静であれば、その後は寝首を搔かれなかったでしょう。

叱責を浴びた南中の部下たち

叱責を浴びた南中の部下たち

叱責を浴びた南中の部下たち

諸葛亮ら蜀軍が南中を攻めた際、南中の部下は君主の孟獲に戦闘を強いられました。なかでも阿会喃と董荼那は、孟獲から理不尽な仕打ちを受けました。

7回のうち最初の生け捕りに遭った孟獲。彼は自分を振り返らずに部下に叱責しました。同じく阿会喃と董荼那も捕まったのちに釈放。2人はしぶしぶ孟獲に従います。

董荼那が再び出撃した際、馬岱に「恩知らずだね」と挑発されます。董荼那が退却すると、孟獲は怒って董荼那を鞭で痛めつけたのです。
やがて阿会喃と董荼那は孟獲を殺そうと酔いつぶし、生け捕りにします。しかし、この後に孟獲が釈放されたため、この2人は谷に捨てられてしまいました。

孫権に避けられたホウ統

孫権に避けられたホウ統

孫権に避けられたホウ統

ホウ統は、劉備(玄徳)が諸葛亮を引き入れる前の軍師にあたります。孫権軍が赤壁の戦いで勝利を収めたのは、ホウ統の計略もあってのことです。
しかし、そんなホウ統がなぜ孫権の軍師にならなかったのでしょうか?

それは、孫権がホウ統の顔を見ただけで気分が悪くなることが有力です。ホウ統は色が黒く、つぶれた鼻を持っていました。さらに太い眉毛と短いヒゲもあったそうです。
そんな理由でホウ統は劉備(玄徳)の元に入りましたが、どういうことか最初は軍師ではなかったのです。

田舎での役職から晴れて軍師へと昇格できましたが、のちの「成都の戦い」で戦死してしまいます。それにしても、生まれ持った顔で避けられるのは嫌な話です。

赤壁の戦いにおける「連環の計」

赤壁の戦いにおける「連環の計」

赤壁の戦いにおける「連環の計」

さて、「連環の計」は2つの事例があります。
1つ目は、貂蝉が色仕掛けで呂布と董卓の関係を引き裂いたこと。
2つ目は、ホウ統が曹操軍の船をすべて鎖で繋ぎ止めることです。
上記2つ目の「連環の計」は、赤壁の戦いで使われました。

船上での戦いに不慣れだった曹操軍は、船酔いに悩まされていました。そこで、ホウ統が「孫権軍からの裏切り者」に扮して曹操の元を訪れます。
「船同士を繋いでしまえば、馬もスイスイ走れるし、みんな酔わなくなるよ」
曹操は、ホウ統の助言を受けて早速船をつなぎます。しかし、それは孫権軍たちにとってあまりに好都合だったのです。

火攻めと東南の風も加わったため、この策は曹操軍に大きな打撃を与えました。

曹丕に自殺を命じられたシン皇后

曹丕に自殺を命じられたシン皇后

曹丕に自殺を命じられたシン皇后

曹丕は、父の曹操が袁紹と戦っているときにシン皇后と出会います。袁紹の城に乗り込んだ際、美しいシン皇后に惚れて結婚を果たしました。彼らの子は、やがて魏の第2代皇帝になります。

シン皇后も曹丕を愛し続けましたが、あることで自殺を命じられます。夫婦愛はどのようにして途絶えたのでしょうか?

もう1人の妻・郭皇后が、曹丕の愛情が自分に注ぐよう仕向けたのです。郭皇后はかつて曹丕の侍女でしたが、彼女もかなりの美人でした。そのため、曹丕の愛情はだんだん郭皇后へと移るようになり、シン皇后は曹丕に対し愚痴をこぼしてしまいます。

死後は息子が母の名誉挽回に注力したため、今日も「皇后」として親しまれています。

馬超に腕を切られた韓遂

馬超に腕を切られた韓遂

馬超に腕を切られた韓遂

韓遂は、馬超の父である馬騰と親しい武将です。馬騰を曹操に殺されたあとは、馬超と共に復讐を誓いました。そんな韓遂がなぜ馬超に腕を切り落とされてしまったのでしょうか?

韓遂は馬超と手を組んだことで、20万の兵力をもって曹操軍を蹴散らします。罠にはまってしまったときも、馬超が助けてくれています。しかし、韓遂ははさみ討ちを恐れたことで曹操に和睦の使者を送ります。

やがて韓遂と曹操はそれぞれ単身で会いに行きました。世間話で終わったのですが、馬超の疑いが晴れなかったのでとうとう曹操の元に行きます。これを知った馬超は怒り、韓遂の左腕を切り落としてしまったのです。

本当に馬超のせいなのか?

本当に馬超のせいなのか?

本当に馬超のせいなのか?

馬超が好きな方であれば、「あの馬超が・・・」と思いますよね。しかし、これらはすべて曹操軍の計画通りだったのです。これを「離間の計」と呼びます。

離間の計は、仲間同士を疑心暗鬼に導くことで関係を崩壊させる計略です。曹操軍の軍師であるカクは、馬超と韓遂の仲を引き裂くことに成功しました。韓遂の腕を切る前に馬超は手紙を見たのですが、その手紙は丁寧に細工されていたそうです。

無慈悲なことをしたのは馬超ではなく、曹操ということになるでしょう。曹操軍の計略によって腕を切り落とされたにも関わらず、降らざるを得ない状況は酷だと感じます。

志半ばの張松

志半ばの張松

志半ばの張松

劉備(玄徳)が蜀を建国する前、張松という人物がいました。

蜀の土台となる地・益州はかつて劉璋の所有地でした。張松はその配下でしたが、劉璋の振る舞いに呆れて曹操の元に向かいます。

ところが、曹操は張松の容姿を見て常にバカにしていたのです。身長は115cm、つぶれた鼻と出っ歯、そして額が前のめり。張松は判断力に長けていましたが、曹操はそんな貴重な存在を見逃してしまいます。

一方、劉備(玄徳)には歓迎されたため、張松は喜んで益州を託そうと決意します。地理などの情報を教えたほか、自ら描いた地図を渡したほどです。

しかし、これらすべては劉璋に漏れたため、一家ともに命を絶たれてしまったのです。

英雄たちの闇を映した武将たち

英雄たちの闇を映した武将たち

英雄たちの闇を映した武将たち

三国志は華やかな歴史だけでなく、英雄たちの闇を映すような出来事も絶えません。

張飛や孫権らは有名な人物ですが、ふとしたところで誰かを傷つけたことがあります。時には、英雄たちも手に負えない出来事に巻き込まれることも。
シン皇后のように美しさで見初められる反面、ホウ統や張松のように苦労を背負った人物もいます。

ところで、劉備(玄徳)はなぜホウ統と張松への扱いがそれぞれ違ったのか、不思議ですね。もし容姿で判断したなら、彼も闇がある人物として挙げられるでしょう。





この記事の三国志ライター

関連する投稿


一人で三国の戦力図を変えた男馬超(孟起)について

三国志の中でも最も強い将軍と言われていた一人、馬超(孟起)という男をご存知でしょうか。五虎将軍の一人として劉備軍になくてはならない存在でした。彼の武力存在感について紹介したいと思います。劉備(玄徳)にとって彼が仲間に加わったことはとてつもなく大きな出来事だったことでしょう。


裏切り者!?知将?韓遂の本当の姿とは

韓遂ははっきり言って人気のあるキャラクターではありません。おそらく人気度トップクラスの馬超を裏切ったという印象が強いからでしょう。また、離間の計を考えた賈詡は「武の馬超、知の韓遂」と言いました。韓遂は本当に知将で裏切り者だったのでしょうか?


三国志・韓遂の「手下八部」メンバー紹介

曹操に対して反乱を起こした韓遂と馬超。それに従った関中の軍閥八人についてお伝えします。


国内外に常に不安因子を抱える後漢末期の国家情勢

黄巾党の乱が起こるとその混乱に乗じて姜族や烏丸などの異民族も争乱を巻き起こしました。さらに終焉に近づくと力を蓄えた董卓が政権を手中に収めようと台頭、それを王允や曹操(孟徳)が討伐せんと動くなど後漢の世はまさに国内外を問わず混乱状態に陥りました。


三国志・もし帝(献帝)が長安から益州への脱出に成功していたらどうなったのか?

帝(献帝)の長安脱出作戦。実はこれには益州へ逃れるという作戦もあったようです。誰が実行し、成功していたらどうなっていたのでしょうか?


最新の投稿


秦 - 西の果てから天下を呑んだ、ある「機構」の物語

中国の歴史を語るとき、ある国の名前を口にしないわけにはいかない。 しかし、その国の物語を聞くとき、私たちはいつも、奇妙な感覚に襲われる。 感動がある。戦慄がある。英雄譚がある。同時に、無数の沈黙がある。 辺境の小国から立ち上がり、五百年の乱世を終わらせ、そして「皇帝」という言葉を、この世に初めて生み出した国。秦。


楚-南の大地に燃えた魂、滅びてもなお死ななかった言葉

長江の水音を聞いたことがあるだろうか。 中原の黄河が、礼と秩序の音色を奏でるなら、長江の水音は 、もっと深く、もっと湿り気を帯び、もっと熱い。 そこに、ある国があった。「蛮」と呼ばれ、礼の外に置かれ、しかし誰よりも大きな大地を抱え、誰よりも深い詩を生み、最後は 、 滅びてもなお、死ななかった国。その国の名を、楚という。


燕 - 北風の果てに夢を見て、易水の歌に消えた国

中原の地図を広げると、その北の端に、ぽつんと一つの国がある。 冬の風が長く、夜が深く、春の訪れが他のどの国よりも遅い土地。中原の華やかな覇者たちの物語からは、いつも少し離れた場所にいた国。 燕。 派手な栄光はない。しかしこの国には、北の風と同じくらい、静かで、深く、そして時に焼けつくほど熱い物語があった。


斉-海の光に育まれ、言葉を信じ、静かに幕を閉じた国

渤海の波が、夜明けの光に銀色に輝く。 塩を運ぶ車が街道を行き交い、商人の声が市場を満たす。 夜になっても消えない、人の気配。 戦国七雄の中で、海を持っていた国は、ただ一つだった。 その国の名を、斉という。


韓 - 最も小さな国が、最も深く考え続けた物語

戦国七雄の地図を広げると、その真ん中に、奇妙な形をした小さな国が、ぽつんと挟まれている。 西に秦。北に趙。東に魏。南に楚。 四方を、強国に、ぐるりと囲まれた国。 戦国七雄の中で、もっとも小さく、もっとも早く滅び、そして ―― もっとも深く考え続けた国。 その国の名を、韓という。


アクセスランキング


>>総合人気ランキング