① いつの時代も老人が活躍するドラマがある
■ ① いつの時代も老人が活躍するドラマがある
① いつの時代も老人が活躍するドラマがある
人間は必ず老いに直面するときがやってきます。「老いては子に従え」とか「老兵は去りゆくのみ」といったネガティブなことわざがありますが、年を取ることによる経験というものは貴重な能力とも言えるのです。
実際、現代の日本社会でも高齢者が活躍する企業なども増えており、人生経験による蓄積されたスキルに脚光が当たることも多くなりました。「老いてなお盛ん」ということもあり、高齢者への待遇も変化の時期を迎えているのです。
一方、三国志時代はどうだったのでしょうか。実は三国志の正史や演義でも、人間離れした能力を発揮する「ハイパーおじいさん」の存在感が非常に大きいのです。三国志演義には多分に脚色された話もあるのですが、それでもおじいさんたちが活躍する描写がけっこうあり、歳を重ねて能力を高めていった人物が多かったことを物語っているのです。中でも三国志において異彩を放っている「ハイパーおじいさん」の左慈、華陀、于吉といった登場人物について、ご紹介していきましょう。
② 鶴に変身して飛んでっちゃった仙人・左慈(元放)
■ ② 鶴に変身して飛んでっちゃった仙人・左慈(元放)
② 鶴に変身して飛んでっちゃった仙人・左慈(元放)
左慈(元放)は方士という、いわゆる“仙人”として三国志演義に登場します。この仙人というのは、中国の道教において仙境という場所に暮らし、仙術という不思議な術を駆使し、しかも不老不死というから不思議な話です。だって、そもそもおじいさんじゃないですか(笑)。
それはさておき、三国志正史では左慈(元放)について、異様な記述が残されています。あるとき、曹操(孟徳)の宴会に招かれた左慈(元放)は、曹操(孟徳)が「この宴席に松江鱸魚(スンジャンルユイ)があればなぁ」というつぶやきに対し、水を張った銅板を用意させて糸を垂らし、松江鱸魚を釣り上げてみせたのです。
また三国志演義では、かの有名な「蜜柑事件」があります。魏と和平を結んだ呉の孫権(仲謀)は温州蜜柑を曹操(孟徳)に献上するのですが、皮をむくと実がなく空っぽ。実は運んでいる途中に左慈(元放)が現れ、「荷物が重くて大変だろう。ワシが背負ってやるよ」と言うと、ひょいと担いで運んでいったそうです。そして、他の人が担いでいた荷物と交換すると、不思議なことにとても軽くなっていました。左慈(元放)は、代わる代わるそんなことをやって、全員の荷物を軽くしたというのです。
腹を立てた曹操(孟徳)は左慈(元放)を呼びつけ、どういうことかと詰問したところ、温州蜜柑を手に取って皮をむき、美味しそうに食べ始めたのです。これに驚いた曹操(孟徳)は左慈(元放)の仙術に興味を持ち、食事を与えました。すると、酒を5斗(中国では約50リットル)飲んでも酔わず、羊を1頭食べても満腹にならないというおかしなことをやってのけました。そして曹操(孟徳)に「天下統一などやめて劉備(玄徳)に譲りなさい。そうすれば仙術のやり方を書いた遁甲天書を差し上げよう」と言ったのです。
これに激怒した曹操(孟徳)は左慈(元放)を投獄し、拷問にかけたり、食事を与えなかったりといった罰を与えるのですが、苦しむどころか逆に生き生きとして懲りた様子がありません。そして投獄されているはずなのに、曹操(孟徳)の宴席に突如現れて盃の酒を箸で二等分にして飲んだあと、曹操(孟徳)に残り半分を勧めました。気味悪がって曹操(孟徳)が飲まずにいると、その盃を放り投げたかと思ったら左慈(元放)は鶴へと姿を変えて飛んでいってしまうのです。
「ホントかよ」という感じもしなくもありませんが、このように左慈(元放)に関してはとんでもない仙術のエピソードに事欠きません。三国志演義は戦記物の口伝なので、こういった面白エピソードが語られると聴いている人たちは盛り上がって喜ぶんですね。そのため、時代を追うごとに神格化されて派手な仙術が登場していったと言われています。
③ 「スーパードクター・K」こと華陀(元化)
■ ③ 「スーパードクター・K」こと華陀(元化)
③ 「スーパードクター・K」こと華陀(元化)
華陀(元化)は薬学、鍼灸に精通した伝説のドクター・Kです。豫州の生まれで、その後に徐州に写って学問を修めました。特に「経書」をよく学び、その才能から陳珪(漢瑜)に孝廉へ推挙されたり、黄琬(子琰)から配下になるよう誘われたりもしましたが、固く拒んで出仕しませんでした。そして、やがて医学の道に入り「神医」と呼ばれるまでになるのです。この時点ですでに100歳くらいだと言われていたのに、それでも元気だというからやっぱりハイパーおじいさんなんですね。
華陀(元化)が行う医術は、麻沸散を使った切開手術というから、これまた「ホントかよ」という感じです。そんな時代に切開手術の技術があったかどうか不明ですし、麻沸散はいわゆる麻酔薬。これを使って手術を行うことが現実にあったかどうか少し疑問ではあります。ただ、現在でも麻酔薬の発明は華陀(元化)だったという説があるので、もしかしたらという可能性も否定できません。
三国志演義における華陀(元化)は、神医として文字どおり神出鬼没でさまざまな陣営にふらっと現れては、サッと病気やケガを直して帰っていくというハイパーおじいさんぶりを発揮しています。特に有名なエピソードは、関羽(雲長)が曹仁(子孝)との戦いで毒矢を肘に受けてしまった際、やはりふらっと荊州を訪れて手術を行うというものです。その際、華陀(元化)は関羽(雲長)に麻沸散の使用を勧めるのですが、馬良(季常)と囲碁を打ちながら酒を飲んでおり、「かまわないから、このままやってくれ」というので右肘の切開手術を行うのです。肘を切開し、骨を削る手術を麻酔なしで行っているのに、顔色ひとつ変えない関羽(雲長)の強い精神力に、さすがの華陀(元化)も驚いたというエピソードです。
ただ、この三国志演義のエピソードは少し眉唾で見たほうが良いかもしれません。このあと、偏頭痛に悩まされる曹操(孟徳)に元を訪れた華陀(元化)は、病原が脳の中にあるので頭蓋骨を切開し、風涎を取り出して病根を除去しなければ治らないと提案。これを聞いた曹操(孟徳)は激怒し(いつも激怒していますね)、自分を殺す気だろうと言うのです。これに対し華陀(元化)は、関羽(雲長)は肘を切開しても動じなかったことを説明。すると曹操(孟徳)はいっそう激怒して、華陀(元化)を投獄して拷問にかけたうえで殺してしまうのです。
三国志演義は劉備(玄徳)びいきの内容で描かれています。つまり、このエピソードも関羽(雲長)の豪胆さ、心の広さをアプールしつつ、対比として曹操(孟徳)の心の狭さや残虐さを演出していると見られています。口伝の三国志演義では、曹操(孟徳)は敵役として登場しますので、こうしたイメージによって聞く人に曹操(孟徳)がヒールとして定着させたのです。華陀(元化)は、そのための舞台装置にすぎないという見方が有力です。
④ またしても登場の仙人・于吉とは?
■ ④ またしても登場の仙人・于吉とは?
④ またしても登場の仙人・于吉とは?
于吉(字は不明)は、徐州琅邪郡出身の道士(道教を信奉する宗教家)です。徐州琅邪郡と聞いてピンとくる人も多いと思います。そうです、諸葛亮(孔明)の生まれ故郷ですね。この人物は三国志正史には登場せず、演義にだけ登場します。簡単に説明しますと、呉の孫策(伯符)に妖術使いと言われて捕らえられるのですが、人々の命乞いもあって「干ばつ続きなので雨を降らせてみよ。さすれば命を助けてやる」という孫策(伯符)の命令に従って雨を降らせます。しかし、降ったら降ったで孫策(伯符)は「天候を人間が左右できるわけがない」という理由で、とうとう于吉を殺してしまいます。
于吉の死後、孫策(伯符)は于吉の幻影に悩まされることになり、ついに体中の傷口から血が吹き出して死んでしまうというエピソードです。これも三国志演義なので、劉備(玄徳)のライバルであった孫策(伯符)のネガティブキャンペーン用に作り上げられた人物なのかもしれません。
まとめ
■ まとめ
まとめ
このように三国志には仙術や妖術を使うハイパーおじいさんが登場します。ただ、どのエピソードもおよそ現実のものとは思えない出来事なので、劉備(玄徳)びいきの三国志演義が盛ったエピソードなのかなという気もします。このほか、武将のハイパーおじいさんとして黄忠(漢升)や厳顔(字は不明)といった老将が活躍するエピソードがあるのですが、その話はまたいずれ。