油断大敵。英雄と言えども油断によって失敗した経験あり

油断大敵。英雄と言えども油断によって失敗した経験あり

戦場では気力が充実した者同士が戦い、策を講じ、運に左右されて勝敗が決まることばかりではありません。自らの緩み、怠慢が原因で「自滅」する場合もあります。「内から敗れる時が真の敗北」などとも言われますが、三国志の戦いの中で「油断」によって戦いの勝敗が決した場面を考えてみます。


劉備不在の徐州 酒に酔って呂布に領土を奪われた張飛

劉備不在の徐州 酒に酔って呂布に領土を奪われた張飛

劉備不在の徐州 酒に酔って呂布に領土を奪われた張飛

劉備(玄徳)が徐州の太守だった頃の話です。帝を擁し政治の実権を握っていた曹操(孟徳)は自称皇帝を名乗る袁術(公路)を討つように劉備(玄徳)に勅命を送ります。しかし、この「勅命」は当時、権力のなかった献帝に曹操が「圧力をかけて出させた」ものでした。もちろん曹操(孟徳)にも裏の考えがあり、劉備(玄徳)が戦いに出ている間に、徐州に保護されていた呂布(奉先)が徐州を乗っ取るように仕組んだ「駆虎呑狼の計」でした。

劉備(玄徳)が関羽(雲長)を伴って戦いに出た後、徐州を任されたのは張飛(翼徳)でした。彼は武力においては、呂布(奉先)に勝るとも劣らない剛の者でしたので、その点は安心でしたが、ある日、夜の見回り中に休憩中だった一人の兵士に酒を勧められます。

まぁ1杯だけなら…。2、3杯なら酒とは言えない(張飛にとっては水と同じ…と言いたい)。お前(別の兵士)の水も飲んでやる…。こうして留まることのない「酒盛り」が始まってしまいました。あげくの果てによって眠りコケてしまう張飛(翼徳)。気付いた時には呂布(奉先)の手勢が徐州を乗っ取ってしまっていました。張飛(翼徳)は戦おうとしますが時すでに遅し。加えて酒で足はフラフラ。「逃げるのがやっと」という状態。命からがら徐州を脱出します。

袁術(公路)との戦いを優位に進めていた劉備(玄徳)でしたが、これで形成が一変。前から袁術(公路)、後から呂布(奉先)に攻められるハメに陥りました。

劉備に気を許し、一軍を貸し与えてしまった曹操

劉備に気を許し、一軍を貸し与えてしまった曹操

劉備に気を許し、一軍を貸し与えてしまった曹操

徐州では上記の攻防の後にもいくつかのイザコザがあり、結局、劉備(玄徳)は徐州を追われます。そして、その大元の計略は曹操(孟徳)が企んだ「駆虎呑狼の計」でした。劉備(玄徳)はその事に気付いていながらも、あえて曹操(孟徳)の下を訪れ、、曹操(孟徳)に保護されます。ちょっと不思議な話ですが、権謀術数、様々な思惑の下、曹操(孟徳)は「追われる身」だった劉備(玄徳)を保護し「恩を売る」作戦に出ます。

曹操(孟徳)の保護下に置かれた劉備(玄徳)、曹操(孟徳)の酒の相手になることも度々。そんな中で、とある酒宴の最中に激しい雷雨が襲います。強烈な雷鳴が轟いた時、劉備(玄徳)は思わずテーブルの下に身を潜めます。劉備(玄徳)のあまりにも唐突な行動に曹操(孟徳)はあっけに取られます。

また、劉備(玄徳)は曹操(孟徳)の領土内で、日々畑を耕していました。戦いもなく、することもないので良い運動になりご飯もオイシイ…というのが劉備(玄徳)の話でした。

そんな劉備(玄徳)に対して曹操(孟徳)はいつしか警戒心を解いて行きます。「仲間」としてではなく「敵としてナメてかかる」ようになります。そして(劉備の発案もあったのですが…)、袁術(公路)討伐の軍を編成し、それを劉備(玄徳)に任せてしまいます。


その後、劉備(玄徳)は袁術(公路)の討伐は実行しますが、曹操(孟徳)の下には戻らず、曹操(孟徳)のライバルとして台頭して行きます。曹操(孟徳)と劉備(玄徳)…。こうして三国志最大のライバル関係が形成されることとなるのです。

陸遜の計略にハマり、荊州を取られ命を落としてしまった関羽

陸遜の計略にハマり、荊州を取られ命を落としてしまった関羽

陸遜の計略にハマり、荊州を取られ命を落としてしまった関羽

劉備(玄徳)、諸葛亮(孔明)が益州を平定して新生蜀を興した直後の話です。呉の猛将呂蒙(子明)に代わって、陸遜(伯言)が呉と荊州の国境警備の任に付きます。「警備」とは名ばかりで、軍備を整え、いつでも荊州に攻め入れるように荊州を監視する任務です。関羽(雲長)は数年、呂蒙(子明)と睨み合いを続け、戦時的には膠着状態が続きます。

そんな状況下に呂蒙(子明)に代わって当時無名だった陸遜(伯言)が来た訳です。関羽(雲長)も最初は「呂蒙(子明)の後任」ということで、呂蒙並みの知略、武勇を持つ者…と警戒しますが、実際は全く逆…。

陸遜(伯言)は着任早々、関羽(雲長)に挨拶の手紙を書きますが、これが超へりくだった内容。軍務もめちゃくちゃ…全く統率が取れておらず、呉の兵士たちはダラダラ。

当時、劉備(玄徳)は漢中攻略に成功。曹操(孟徳)を漢中から追い出し、漢中王を名乗りました。そしてさらに追い打ちを掛けるように関羽(雲長)に荊州から魏に攻め入るよう命を下します。関羽(雲長)はすぐに行動を起こし樊城を完全に包囲しました。

しかし、ここで関羽(雲長)は彼らしからぬ、人生最大の失敗をします。その原因は「油断」です。関羽(雲長)は呉の国境の任に付いている陸遜(伯言)の能力を過小評価し、荊州の兵力を徐々に樊城攻略に移してしまいます。当然、呉との国境の兵力は手薄になります。結局、関羽(雲長)は背後から呂蒙軍の荊州への進行を許してしまいます。

あの関羽(雲長)ですら、油断をしてしまったのです。そして、その事で命を落としてしまいました。

一度油断すると立て直すのに余計な時間がかかる ~心も身体も大勢も~

一度油断すると立て直すのに余計な時間がかかる ~心も身体も大勢も~

一度油断すると立て直すのに余計な時間がかかる ~心も身体も大勢も~

油断が原因で陥ってしまった状況を立て直すには、余計な時間がかかります。それは「緩んだ心を引き締める時間」が必要になるからです。これには時間が掛かりますし、自分を否定しなければならない事もありますから、「自己否定」を受け入れられない場合も出て来ます。関羽(雲長)でさえ、「荊州陥落」をすぐには認めなかった場面があります。さらに関羽(雲長)の場合は油断のために失ってしまった大勢(荊州)を取り戻すことは不可能な状況でした。まさに「気付いた時には、時すでに遅し」でした。

曹操(孟徳)も劉備(玄徳)への油断から劉備の台頭を許してしまいました。これも油断から大勢に影響を与えてしまった(自身を不利な状況にしてしまった)一例と言えます。そして、張飛(翼徳)は油断から酒に酔って身体が言う事をきかなくなった(身体に影響を与えた)例です(汗)。

いかがでしたでしょうか。三国志に登場する英雄達ですら「油断」をしてしまう場合があります。それは「人間」ですから仕方ない…という考え方もできます。しかしながら、油断によって自身に不利益が生じてしまっては元も子もありません。

「油断大敵」ですね。





この記事の三国志ライター

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