蜀の北伐への準備
■ 蜀の北伐への準備
蜀の北伐への準備
劉備(玄徳)の死後、228年になって蜀はついに魏を倒すべく北伐を開始します。その準備のために、丞相であり、北伐の総司令官である諸葛亮は前年から漢中に滞在していました。諸葛亮は北伐を成功させるために他にもあらゆる手を打っています。一時は敵対関係になっていた呉との国交を復活させ、再び同盟を結びました(呉の正式な建国は229年になりますが)。
さらに懸念していた蜀の南にも対応しています。それが225年に行われた南征です。「三国志正史」では、蜀は諸葛亮、李恢、馬忠の三軍に分けて建寧や雲南、越雋などを攻略しています。現在でもこの地方は少数民族が住んでいる場所です。蜀は北伐のために全軍を投入するぐらいの覚悟でしたから、南を制圧しても、平定維持のために軍勢は割けませんでした。だからこそ諸葛亮は武力による制圧ではなく、異民族を慰撫し、蜀に従うように対処する必要があったのです。
これが「三国志演義」で有名な「七緃七擒」のエピソードにつながっていきます。南蛮の首領である孟獲を七たび逃して七たび擒(とりこ)にするというものです。三国志正史には詳細が記載されていないため、この部分の話はもっぱら三国志演義に記されている内容だけが伝わっています。
三国志演義に登場する南蛮の個性豊かな武将たち
■ 三国志演義に登場する南蛮の個性豊かな武将たち
三国志演義に登場する南蛮の個性豊かな武将たち
もともと三国志に登場するメインキャラですら特徴ある描写をしている三国志演義ですから、話を盛り上げるために南蛮武将たちをさらに個性的なキャラとして登場させています。フィクションというよりも、ファンタジーに近い雰囲気です。ここだけは三国志というよりも、まるで妖怪を退治する西遊記のようです。
今回はそんな南蛮の個性豊かな武将の中から「最強トップ5」を選びたいと思います。人望では孟獲がトップなのかもしれませんが、戦闘力という物差しで量ったらどうなるのでしょうか。皆さんもぜひ想像してみてください。
第5位 楊鋒(ようほう)
■ 第5位 楊鋒(ようほう)
第5位 楊鋒(ようほう)
孟獲もかなり精強なのでしょうが、何せ捕縛されている回数があまりに多いためにランク外としております。ということで第5位は、銀冶洞二十一の洞主「楊鋒」です。実際に戦うとどのくらいの強さなのかは不明なところがありますが、3万の兵を連れて孟獲の援軍として駆けつけた際には、その大喝によって、孟獲・孟優・朶思大王を捕らえました。実は楊鋒はすでに諸葛亮に内通していたのです。捕らえた三人を蜀に引き渡すと褒美を得て姿を消します。酒宴で油断させていたとはいえ、敵の本陣でその総大将を捕らえるというのはそう簡単にできることでもありません。揚鋒は智謀だけでなく、武勇にも優れていたのではないでしょうか。
第4位 兀突骨(ごつとつこつ)
■ 第4位 兀突骨(ごつとつこつ)
第4位 兀突骨(ごつとつこつ)
孟獲が頼った最後の相手であり、南蛮の秘密兵器ともいえるのが、「烏戈国」です。現在もベトナム北部に住んでいる烏滸族がモデルになっているようです。三国志演義ではかなり脚色されており、烏戈国人は生きた蛇や獣を食し、通常の人が飲むと死ぬような「桃の葉の散った後の水」も勢力増強として愛用しています。刀や矢を通さず、河にも沈まない鎧をまとっており、「藤甲軍」と呼ばれています。まさに超人軍団です。
その国王が、今回の南蛮武将ランキング第4位となる「兀突骨」なのです。藤甲軍の強さは蜀軍を苦しませ、猛将である魏延を破ります。最期は諸葛亮の計略にかかり3万の兵は国王の兀突骨とともに焼き殺されることになりますが、その健闘ぶりは立派です。そんな中でも身長が1丈2尺(およそ270cm)の超巨漢である兀突骨は突出した強さを誇っています。ちょっとでかすぎですね。
第3位 鄂煥(がくかん)
■ 第3位 鄂煥(がくかん)
第3位 鄂煥(がくかん)
越雋に住むタイ系南蛮族の王の高定が登場しますが、その配下にも精強な武将がいます。身長が9尺(およそ2m)の偉丈夫で、方天戟の使い手、「鄂煥」です。魏延と引き分け、その後は魏延・王平・張翼の三人がかりを相手にして捕らえられました。諸葛亮に降った鄂煥はその武勇で、高定と共に反乱を起こした反乱軍の総大将である永昌郡太守の雍闓を討ち取っています。それでも諸葛亮の信を得られなかったために、次に牂牁郡太守の朱褒を討ちます。
こうして帰順が認められ、鄂煥は蜀の牙門将に任じられています。孟獲と共に北伐の際に活躍してほしい逸材ですが、その後はまったく登場のシーンがありません。
第2位 祝融夫人(しゅくゆうふじん)
■ 第2位 祝融夫人(しゅくゆうふじん)
第2位 祝融夫人(しゅくゆうふじん)
強さでいったらこの武将は確実に名前があがるでしょう。伝説の火神・祝融の末裔とされ、南蛮の王である孟獲の妻である「祝融夫人」です。飛刀の使い手で、5本の飛刀と投げ槍を駆使して蜀軍を苦しめます。一騎打ちでは蜀の武将として有名な張嶷、馬忠を破り、捕縛するほどの強さです。もちろん三国志演義に登場する架空人物であり、張嶷や馬忠が女性に負けたという記録は三国志正史には記載されていません。
第1位 木鹿大王(ぼくろくだいおう)
■ 第1位 木鹿大王(ぼくろくだいおう)
第1位 木鹿大王(ぼくろくだいおう)
それでは栄えある南蛮武将最強を発表いたします。これはもはやダントツでしょう。八納洞の元帥で、白象にまたがり孟獲の援軍に駆けつけた「木鹿大王」です。象に乗っている時点でかなりの破壊力ですが、木鹿大王は法術で風雲を呼ぶことができ、さらに毒蛇やサソリ、虎などの獣をコントロールすることも可能です。これには当時の蜀の最強ランクに位置する武将である趙雲や魏延も敵わずに大敗しています。仮にも趙雲を破ったという記録を持っているのが木鹿大王なのです。もはや蜀軍で対抗できる武将はいませんが、ここで諸葛亮の智謀と法術が冴え渡ります。火を噴く木彫りの唐獅子を乗せた乗り物100台と、風向きを変える法術によって木鹿大王の軍を破るのです。追撃を受けて木鹿大王は戦死しています。
まとめ
■ まとめ
まとめ
さて改めて順位を発表しましょう。5位・楊鋒、4位・兀突骨、3位・鄂煥、2位・祝融夫人、1位・木鹿大王ということになりました。皆さんの予想はいかがだったでしょうか?
それにしても木鹿大王を殺してしまったのは惜しいですね。彼がいたら北伐の戦い方も変わっていたことでしょう。もしかしたら木鹿大王の軍だけで長安まで陥落させられたかもしれません。そのあたりのパワーバランスがおかしくなってしまうので、三国志演義では抹殺せざるをえなくなってしまったのかもしれませんね。