三国志の怪談~四の巻~

三国志の怪談~四の巻~

いよいよ三国志の怪談シリーズも4回目となりました。三国志の時代に起きたことは戦争だけじゃありません。怪事件も起きているんです!!それでは論より証拠ということで、気になる方は本文まで目を通してください。


死後も国や民に尽くす男たち

死後も国や民に尽くす男たち

死後も国や民に尽くす男たち

怪談にはご先祖様が子孫を助けるホッコリするものから、いたずらで入った廃墟の地縛霊に憑依されてしまうようなゾワゾワするようなものがありますよね?

三国志の怪談でどうしても外せないのが関羽の亡霊ですが、関羽は「関聖帝君」という神としても怪談に登場します。実は諸葛亮も亡霊として出てくることがあるので、詳細は本編をご覧ください。

蜀朝の終りを告げる諸葛亮の亡霊

蜀朝の終りを告げる諸葛亮の亡霊

蜀朝の終りを告げる諸葛亮の亡霊

司馬懿が死んだ後、その全権力を手中におさめたのは長男の司馬師でした。しかし、司馬師も父の遺命に従い司馬一族の今後を盤石なものにするため転戦に転戦を重ねた結果、戦闘中に右目を射抜かれそれが原因となって急死しました。まだ30になったばかりの若すぎる死でした。

その後は弟の司馬昭が父と兄の夢を引き継ぎました。司馬昭は父親と諸葛亮が何度も争ってついに決着がつかず、うやむやになっていた蜀への侵攻を再開しました。司馬昭は蜀征伐に向け、2人の若武者を起用しました。その者の名は鄧艾(とうがい)と鍾会です。両名は魏が誇る若い英雄で、蜀軍はこの若い将軍を最も恐れていました。

このとき魏軍は実に巧妙な作戦をたてました。簡単に言うと「2人の若武者に競争させよう」というものです。鄧艾と鍾会をわざと二軍に分かれさせ、別方向から同時に蜀を攻め立てるという作戦です。しかもこの2人は諸葛誕の乱に参加していた経験もあり、蜀の参謀姜維の戦術を熟知していました。両名は姜維の立てそうな布陣を呼んで、各々のルートで進軍し、挟み撃ちをする計画を立てました。

定軍山という山まで進軍した鍾会は、その山上に諸葛亮の墓があると聞き、供物を用意して祭祀を執り行いました。その夜、陣中で寝ている鍾会の枕元に身の丈8尺(約210cm)もある神仙が現れました。

神仙「今朝ほどは丁重な挨拶を受けてかたじけない。蜀が滅びるのは天命でいたしかたないが、積みのない人民は殺さずにおいてもらいたい」

と一言残して消えました。なにを隠そうこの巨大な神仙は諸葛亮の亡霊だったのである。蜀の領民が戦争に巻き込まれることを恐れて出現し、直々に敵の指揮官に頭を垂れにきたのです。

鍾会は感激し、「保国安民」の白旗を陣頭に掲げて「みだりに人殺しをするものは死罪にする」と触れ回りました。おかげで蜀の人々は略奪をうけることがなかったそうです。

酔っ払いの城隍神

酔っ払いの城隍神

酔っ払いの城隍神

杭州の沈豊玉は、武康県の補佐役、後見人となっていました。ある日、お触れがでました。沈玉豊という大盗賊に関する注意書きです。豊玉と玉豊、これはたいへん間違いやすいのです。

同役の袁某が、沈豊玉に戯れてお尋ね者の大盗賊玉豊を、さかさまにして朱筆でかいて、「いまいたるところで、お前を捕まえようとしているぞ」といってふざけました。沈さんは怒ってこれを取り上げて焼いてしまいました。ところがこの冗談ごとが、たいへんなことになるのです。

これで一件落着と思って、沈さんはその夜眠りについたところが、夢の中で鬼の役人が襲ってきて、沈を捕縛して城隍廟に引き立てていきました。城隍神さまは、あの世の裁判官でもあり、また鎮守の神さまでもあります。城隍神は、たいへんなお怒りで、壇上から「人殺しの大盗賊め、憎むべき奴だ」と左右の鬼を呼んで、刑の執行をしようとしました。
沈はあわてて「自分は杭州の秀才で盗人ではない」といろいろ弁明しましたが、神様はなおさらお怒りで「冥府の例として、現世から公文書が送られてくると、冥府の役人も力を合わせて捕らえるのだ。武康県の公文書には、お前の姓名が名指しで、大盗賊としている。汝は偽りをいいはって、なぜ強がりをいうのか」沈はつぶさに同役の袁某が自分に戯れにいったことを申しあげましたが、城隍神は聞きいれず、鞭打ちを命じました。

沈は、号泣して濡れ衣ですと叫びますと、左右にいる鬼の獄卒がそっと、「城隍神とその夫人とは酒を飲んで、酔っぱらっている。お前は別の役所にいって無実の罪を晴らしたがよいぞ」沈は城隍神の顔面が紅潮し、眼がくらんで一筋になっているのを見て、すでに深酒していることを知って、弁明しても無駄と考えて苦痛に耐えて鞭打ちを受けました。

鞭打ちが終わりますと、鬼の看守に命じて投獄するわけです。その途中で関帝廟の前を通ったおり、沈は大声を上げて、無実を叫びました。
関聖帝君(関羽)は、沈を呼び入れて、詳細にお調べになりました。関聖帝君(関羽)は、黄色の紙に朱筆で決裁をなさって、いわれるに「汝が詳しくいうのを聞いて、汝はまことに秀才である。城隍神は酒浸りとなっている。でたらめの刑を断じて執行させはしないぞ。当然引っ張り出して糾弾してやる。また、同僚の袁某は久しく県の顧問職をしているのに、人の命を子供の戯れみたいにもて遊んだのはけしからんことじゃ。本人の寿命を奪い取ってやる。県知事の某も袁を採用した不明について、応分の罪を償うべきだが、官命による出張中であったことを考慮して、罰俸三か月とする。
 沈秀才は、冥府の鞭打ちを受けて、五臓はもう傷ついて、二度とは復活できない状態になっているので、山西の某家に送って、そこの子となり、二十歳で官吏登用試験に合格させて進士に登用し、今生の無実の罪の償いとする」と判決しました。

鬼の役人どもは恐れ、ひれ伏して、散り散りになりました。沈は夢から覚めると、腹痛がひどくて辛抱できません。 同役を呼んで理由を説明し、三日後に息を引き取りました。

袁はこのことを聞いて、急に役所を退職して、帰りましたが、間もなく血反吐を吐いて亡くなりました。その後、城隍廟のご神体も、なんの理由もないのに自ら倒れ崩れていきました。県知事は駅馬を乱費したことで、罰俸三か月の処分となりました。

屍の三つの願い

屍の三つの願い

屍の三つの願い

江西省何昌県の北蘭寺という寺に年上の読書人と若者との2人が、仲良く修行、勉学に励んでいました。 ある日、年上の読書人が自宅に帰って急に亡くなりました。若者は何も知らないので、変わらず勉強に励んでいました。

ある晩、熟睡していますと、ともに学んでいた読書人が戸を開いて寝台にあがり、若者の背をなでながら「私はあなたと別れて10日も経たないうちに、急病で死にました。今の私は霊魂です。友情忘れがたく、特にお別れにやってきました」若者は恐れおののいて、口もきけません。使者が、慰めて「私があなたを傷つけることはありません。こわがらないように。では率直に申し上げましょう。私がここに来たわけは、私の死後のことを頼みに参ったのです」

それを聞いて、若者の心もやっと落ち着いて、頼みごとは何ですかと尋ねました。
死者は「私には七十余りの母とまだ三十にならない妻とがいまして、年に数石の米で生活できます。あなたに、その米を恵んでほしいのです。これがひとつ。それから、私の著書がまだ出版されていません。出版して頂いて、私の名が消え失せないようにしてください。これが二つ。最後に筆屋にわずかばかりの借金があります。これをどうか支払って頂きたいのです。以上が私の三つの願い事でございます。」

若者はこの三つの願い事を快く承諾しました。
死者は立ち上がって「あなたが承知してくださったので、もう帰ります」と行こうとしました。若者は死者の言葉、人情、容貌が生前のとおりなので、だんだんと怖い気持ちが消えたので、泣きながら死者を留めて「あなたとは永い別れになりますから、もう少しゆっくりなさったら」
すると死者は寝台に戻り、常日頃の話をしました。ところがちょっとだけ話すと、急に立ち上がって「おれは帰るぞ」とたったまま、両目をカッと見開き、顔はだんだんと醜悪極まりない顔つきになっていきます。若者は恐れて、「話はもう終わった、お帰りなさい」屍はたったままで、行かないのです。若者は、寝台を叩いて大声を出しましたが、屍はたったままです。

若者が驚いて逃げますと、屍も後について走ってきます。若者が急いで逃げれば逃げるほど、屍も急いで追いかけてきます。数理も逃げて、垣根を越えますと、屍は垣根が越えられません。首だけ垣根の外にダランと垂らして、口の中からはダラダラと涎がしたたり落ちて、疲労の極みに達して地面に倒れている若者の顔に流れ落ちました。若者はだんだんと気が遠くなっていきました。

夜が明けて、失神している若者を通行人がみつけて、しょうが汁を飲ませると若者はやっと蘇生しました。喪主が、失った屍を探しもとめ、屍をかついで墓地にやっと葬ることができました。

まとめ

まとめ

まとめ

いかがでしたでょうか。暑さは吹っ飛びましたか?

死してなお国と人民のことを考えて敵の将軍に頼みごとをした諸葛亮、適切な判断を下し人の転生にまで気を遣う関羽はまさに功臣の鏡です。怪談として残されていますが、両名のエピソードは武将や皇族だけでなく庶民にまで語り継がれているものです。「この世の行いを関羽が見ているんだ」ということを念頭において、人を騙したり罪を犯すことのないようにしましょうね。


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