魔王・董卓の真実(10)「人間ローソク」にされた董卓

魔王・董卓の真実(10)「人間ローソク」にされた董卓

後漢の朝廷に君臨し、恐怖の独裁政治を展開した董卓。その暴政にも、ついに終わりの日がやってきます。董卓政権に幕を引いたのは、三国志ファンならおなじみのあの人でした。はたして董卓はどのようにして殺されたのか、独裁者を討った謀略を見ていきます。


「三国志演義」のエピソードは事実?

前回お話ししたように、董卓に政治の実務をまかされていた王允(おういん)は、その董卓の暗殺計画をひそかに立案します。彼が計画に引きずり込んだのは、董卓軍の猛将であり、董卓と親子の誓いまで交わした側近中の側近、呂布だったのです。
この王允の策謀について、小説「三国志演義」は貂蝉(ちょうせん)という架空の美女をからめ、物語序盤のハイライトとして描いています。王允は絶世の美女である貂蝉を呂布に会わせますが、その後董卓に献上してしまうのです。貂蝉はひそかに呂布と密会しつつ、たくみな振る舞いで董卓と呂布の対立をあおります。呂布は董卓に殺されるのを恐れるようになり、ついに董卓暗殺計画に加担する……という流れです(いわゆる「美人計」という策略ですね)。

三国志演義はあくまで小説であり、王允が実際に美人計を仕掛けたわけではありません。とはいえこの部分は、根も葉もない話とも言い切れないのです。
史書には実際、呂布が董卓の侍女に手を出してしまい、それが発覚するのを恐れていたという記録があります(主君の女に手を出すなんて、バレたら処刑されてもおかしくありません)。
そしてもうひとつ、呂布に小さな落ち度があったとき、董卓が腹を立てて刃物を投げつけたことがあり、呂布が密かに恨んでいたという話もあります。おそらく三国志演義では、こうした女性問題と感情のこじれを利用して、ストーリーをふくらませたのではないでしょうか。

ついに呂布が、暗殺計画に加わる

王允と呂布は同郷ということもあって、親しい交際がありました。ちょうど王允が暗殺計画を練っていた頃、呂布は董卓に何度か殺されそうになったことを打ち明けました。「しめた!」と思ったか、王允は呂布に暗殺計画への加担を持ちかけます。ふたりのあいだには、こんなやり取りがあったといいます。

呂布「董太師(董卓)と私には、親子の契りがあるというのに、それはどうなるのか!?」
王允「貴殿はあくまで『呂』姓であり、もともと董卓と血のつながりはあるまい。いままさに死を恐れ、憂いている状況で、どうして親子の仲などと言っていられるのか?」

こうして呂布もまた、董卓暗殺計画に加わったのです。

「魔王」をどうやっておびき出すか?

もちろん董卓は暗殺を警戒している上、日頃は自分の砦にこもっているので、暗殺は容易ではありません。しかしこんな人でも、朝廷の重要な出来事があれば、公の場に出てこなくてはならないのです。
皇帝がイベントに出るのに臣下が欠席するのは、非礼ということになってしまいます。また皇帝に呼び出された場合、断るのもなかなか難しいですね。しかし歴史上、こうした朝廷がらみの出来事が、権力者の暗殺の機会となってきたのです。

日本の古代史でも、聖徳太子の死後に権勢をふるった蘇我入鹿は、外国の使者の来訪(=朝廷のイベント)で入朝したさいに殺されています(乙巳の変)。また三国志の時代でも、大将軍・何進が宮中で宦官に暗殺されています。このときは「皇太后(何太后)からの呼び出しだ」との口実で宮中におびき出され、討ち取られてしまったのです。このように、権力者にとって朝廷に出かけるというのは、状況によっては危険もともなうことでもありました。

王允もまた、このように董卓をおびきよせて殺すことを考えました。
あとはそのための口実を作らなくてはいけません。ちょうどその頃、皇帝(献帝)が病気になるも平癒するというめでたい出来事があったため、朝廷でそのお祝いがもよおされました。皇帝にかかわる朝廷のイベントですから、当然ながら董卓も出席しなくてはいけません。王允はこれを千載一遇の好機ととらえ、呂布とともに計画を練りました。

ついに董卓死す

そして、ついにその日が来ました。王允・呂布の謀略が待ちかまえる場所へ、なにも知らない董卓が向かいます。ある記録ではその道中に、「呂」と書いた「布」をかかげ、董卓に危険を示唆した者がいたといいます。「この先に、『呂布』があなたを殺すために待ちかまえているぞ!」という意味でした。しかし董卓はその警告に気づくことなく、先へと進んでしまった―――こんな逸話があります。

董卓が現地に到着すると、あらかじめ待ちかまえていた軍勢に行く手をはばまれました。何事かと驚いた董卓は、「呂布はどこにいる?」と叫びます。あらわれた呂布は、詔勅(しょうちょく)を手にしていました。詔勅または詔(みことのり)というのは、皇帝の命令書のこと。皇帝の命により「董卓を討つ」というのです。

「詔(みことのり)である!」

呂布はそう叫び、親子の誓いまで交わした董卓を、ついに討ち果たしました。
暗殺を恐れ、常に用心をおこたらなかった董卓も、身内であると信じていた呂布・王允の裏切りは察知できなかったのです。

「人間ローソク」にされた董卓

董卓が討たれた後、その一族もまたあわれな最後をむかえます。
董卓は首都・長安の東に、30年分もの食料をため込んだ堅牢(けんろう)な砦を築いており、一族の多くがそこにこもっていました。王允らの新政権はただちに討伐の軍を送り、一族は皆殺しにされたといいます。董卓の90歳になる老母は「どうかお助けください」と哀願するも、即座に首を討たれました。こうして権勢を欲しいままにした董一族は、あっという間に滅んでしまったのです。
このとき討伐隊を率いていたのは、あの後漢の名将・皇甫嵩(こうほすう)でした。董卓の死後、その一族は因縁のライバルの手でほろばされたのです。

クーデター後、董卓の死体は市場にさらされました。彼は肥満体だったので、死体から多くのアブラが流れ出したといいます。死体を見張る役人は、夜になると死体のヘソの中に灯心(とうしん/火をともすための芯)を置いて、ともし火にしました。董卓の死体のアブラのおかげで、ともし火は消えることなく、夜中じゅう燃え続けたといいます(あまり想像したくない光景ではありますが、董卓が太っていたことを伝える描写ですね)。

こうして「三国志序盤の大魔王」董卓は滅びました。次回は董卓時代の政治を振り返ると共に、董卓死後の政局がどうなったかを、見ていきたいと思います。

関連するキーワード


董卓(とうたく) 後漢

関連する投稿


三国時代に隠れた「後漢皇族の氷河期」をちょっとラフにご紹介

三国時代に隠れた「後漢皇族の氷河期」をちょっとラフにご紹介

三国志は、後漢皇族のいい加減な政治によって始まったものです。しかし、その皇帝たちの出来事は陰に隠れがち。黄巾の乱から陽人戦の間に起きた「十常侍の乱」以降も、どうなったのでしょうか?「黄巾の乱」で活躍した何進とその妹は、なぜ十常侍の乱に関わっているのでしょうか?また、黄巾の乱は三国志演義ベースで紹介しています。


結局どうなったの?「陽人(虎牢関)の戦い」とその後の真実

結局どうなったの?「陽人(虎牢関)の戦い」とその後の真実

虎牢関の戦いとも呼ばれる「陽人の戦い」。袁紹ら諸将は、暴君・董卓への反乱を起こします。悪を征することは美徳とされていますが、この戦後をご存知でしょうか?三国志を飾る戦いの1つを、史実ベースでご紹介します。


三国志の初心者が知っておきたい演義のポイント

三国志の初心者が知っておきたい演義のポイント

三国志演義には正史と違い物語が存在しています。そこには人間ドラマを取り入れて、劉備(玄徳)を主人公に盛り立てて、義と仁に重点を置いたストーリーが描かれています。そこで、三国志の初心者が入りやすい、演義での見るポイントについてご紹介していきます。


悪名高い董卓は何をした!

悪名高い董卓は何をした!

三国志で一番の悪者は?と問われた際に半数の人が真っ先に董卓を挙げるのではないでしょうか。そんな董卓が何をしたのかハイライト的にまとめてみましたので簡単に知ってもらえたらと思います。董卓は敵が多かったわけですが、実は高官を抑える能力も高く、相国にまで上り詰めました。


意外と知らない?! 暴君といわれる袁術の影響力

意外と知らない?! 暴君といわれる袁術の影響力

三国志の中でも悪役といわれるのが袁術(公路)です。三国志の初期から登場し、名門袁家の出身で多くの兵を持ちながら天下を手にすることができませんでした。それでも曹操(孟徳)や劉備(玄徳)、孫堅(文台)、董卓(仲穎)といった権力者たちに与えた影響力は大きいものでした。そんな袁術はどのような人物かみていきましょう。


最新の投稿


油断大敵。英雄と言えども油断によって失敗した経験あり

油断大敵。英雄と言えども油断によって失敗した経験あり

戦場では気力が充実した者同士が戦い、策を講じ、運に左右されて勝敗が決まることばかりではありません。自らの緩み、怠慢が原因で「自滅」する場合もあります。「内から敗れる時が真の敗北」などとも言われますが、三国志の戦いの中で「油断」によって戦いの勝敗が決した場面を考えてみます。


三国志・この激突が見たい!仮想軍団最強対決!

三国志・この激突が見たい!仮想軍団最強対決!

星の数ほどいる三国志の英雄たちの中から10人ずつを選出して最強軍団を2チーム構成してみました。皆さんの予想とぜひ比較してみてください。


三国志・南蛮で最強は誰なのか!?トップ5を決定

三国志・南蛮で最強は誰なのか!?トップ5を決定

三国志の英雄・諸葛亮が颯爽と活躍するのが蜀の南征です。孟獲を筆頭として個性豊かな南蛮の武将が現れ、蜀軍を苦しめますが、諸葛亮の智謀によって敗北していきます。今回はそんな南蛮武将の中で最強は誰なのか選んでいきましょう。


三国時代に隠れた「後漢皇族の氷河期」をちょっとラフにご紹介

三国時代に隠れた「後漢皇族の氷河期」をちょっとラフにご紹介

三国志は、後漢皇族のいい加減な政治によって始まったものです。しかし、その皇帝たちの出来事は陰に隠れがち。黄巾の乱から陽人戦の間に起きた「十常侍の乱」以降も、どうなったのでしょうか?「黄巾の乱」で活躍した何進とその妹は、なぜ十常侍の乱に関わっているのでしょうか?また、黄巾の乱は三国志演義ベースで紹介しています。


三国志・日本で一大ブームを引き起こした漢詩の原点は曹操にあり

三国志・日本で一大ブームを引き起こした漢詩の原点は曹操にあり

仏教文化が主流となっていた日本の文化に大きな変革をもたらすことになる「漢詩」。平安時代には朝廷を巻きこむような一大ブームとなります。その原点となるのが「曹操」の存在なのです。


https://sangokushirs.com/articles/196