張角の存在は生理的に受け付けない!
■ 張角の存在は生理的に受け付けない!
張角の存在は生理的に受け付けない!
太平道の教祖として衰退した後漢王朝にとって代わり国を乗っ取ろうとした張角。黄巾賊と言う黄色い頭巾と黄色い旗を掲げて各地で反乱を起こしました。地方の農民に武装蜂起させ、政府軍を各地で圧倒しました。言っていることは「民のため」と言う感じですが、略奪や、強姦をしていたと言われています。なにより軍勢も戦意に乏しいのにもかかわらず、幻術を使い相手を苦しめると言ったどうも胡散臭い奴です。
言ってみれば怪しい宗教団体が膨れ上がったという感じなので真っ先につぶしておきたいことこの上ない相手ではないでしょうか!
張角は最終的に病死してしまいますが、どうせなら戦いの最中で討ち取られて欲しかったという想いがあります。
ちなみに彼の死後黄巾賊は全くいなくなったという訳ではありませんが、存在感を亡くし、小説「三国志」でもパタッと出てこなくなりました。
三国志一の悪名高き董卓(仲穎)は是非とも自分の手で!
■ 三国志一の悪名高き董卓(仲穎)は是非とも自分の手で!
三国志一の悪名高き董卓(仲穎)は是非とも自分の手で!
手柄をあげる、あげないに関わらず「自分が董卓(仲穎)を倒したい!」と思った兵は数知れなかったことでしょう。金で官職を買取り、自分の思い通りにしたいために帝を変えてしまうと言った暴政の限りを尽くした人物が董卓です。曹操(孟徳)を始めとして董卓(仲穎)を本気で殺しにいった者は数知れないのですが、ことごとく失敗に終わっています。そして最終的には側近中の側近である呂布(奉先)に殺されてしまいました。(その呂布(奉先)は、はめられていたわけですが)できることなら自分の手で董卓(仲穎)を討ち、「大魔王を討ち取った!」と声高々に叫びたくはありませんか?問題は三国志一最強の呂布(奉先)が近くにいるかもしれないという所でしょうか。
日本人としてみたら悪の親玉曹操(孟徳)は倒したい!
■ 日本人としてみたら悪の親玉曹操(孟徳)は倒したい!
日本人としてみたら悪の親玉曹操(孟徳)は倒したい!
日本人が知る三国志は劉備(玄徳)=正義、曹操(孟徳)=悪と言う構図が出来上がっています。そのため日本人の多くは「曹操(孟徳)を倒したい!」と思うのではないでしょうか。董卓(仲穎)ほどではないですが、悪事を働かせ、保身のために人を殺したり、部下の首を切ったりと大忙しです。レッドクリフでは疫病で亡くなった兵を呉・蜀の連合軍に送り付けていましたね。こんな悪行は見るに堪えない!そう思う人も多いことでしょう。
しかし、曹操(孟徳)の首を獲りに行くには典韋や許褚(仲康)と言った三国志でもトップクラスの武力を誇るボディーガードが待ち構えています。言ってみれば「相手にとって不足なし」と言う状況でしょう。
命を賭して曹操(孟徳)の首を獲りに行く価値はあるのではないでしょうか。
魅力はあるが何をしでかすか分からない呂布(奉先)を倒したい!
■ 魅力はあるが何をしでかすか分からない呂布(奉先)を倒したい!
魅力はあるが何をしでかすか分からない呂布(奉先)を倒したい!
三国志最強の漢、呂布(奉先)は是非とも倒したい相手ではないでしょうか。最強の馬に乗った最強の戦士を倒すということは何物にも代えがたい名誉が与えられることでしょう。タイマンでやりあったら誰も呂布(奉先)には敵わず、逃げるのが得策と言えるくらいの相手です。彼の強さを物語るのに一番わかりやすい例が、劉備(玄徳)、関羽(雲長)、張飛(翼徳)の三人相手でも呂布を落とせなかったという所でしょう。
そんな最強の漢も義に関してはカスレベルです。裏切りに裏切りを重ね義理の父を殺し、命を助けてくれた劉備(玄徳)を裏切るなど評判は最悪です。
しかし、「あの強さは魅力的」と思われるあたりはやはりさすがです。呂布(奉先)を相手に腕試しをしたいという人間は多いでしょうね。
親の七光りを使いまくるどうしようもない男袁術(公路)
■ 親の七光りを使いまくるどうしようもない男袁術(公路)
親の七光りを使いまくるどうしようもない男袁術(公路)
袁紹(本初)のいとこ、もしくは異母兄弟と言われている袁術(公路)は名家の生まれをいいことに酒池肉林に明け暮れるどうしようもない男でした。董卓(仲穎)の勢いを止めるため曹操(孟徳)や袁紹(本初)らが仲間を募り反董卓連合を作ったのに、補給部隊と言う立場であった袁術(公路)の怠惰ぶりに足を引っ張られ序盤でつまずいてしまうという失態を起こしてしまいました。そして袁術(公路)の最後は曹操軍から命からがら逃げていたところ、農家に立ち寄りました。「蜂蜜をくれ」といいましたが、「そんな高価なものはない」と言われたことに激怒し、その拍子に床に落ち死んでしまったという説があります。
まさにどうしようもない袁術(公路)ですが、「こういやつは真っ先に自分が倒さねば!」と思ってしまいますよね!
呉のラストエンペラー孫皓(元宗)はただじゃおかない!
■ 呉のラストエンペラー孫皓(元宗)はただじゃおかない!
呉のラストエンペラー孫皓(元宗)はただじゃおかない!
呉と言えば江東の虎と呼ばれた孫堅(文台)、小覇王と言われた天才孫策(伯符)、五十年呉を治めた帝王孫権(仲謀)と言った男でもほれぼれするような君主が統治していました。しかし、孫権(仲謀)が亡くなると後はバタバタとどうしようもない皇帝しか生まれませんでした。その中でも最悪を極めるのが孫皓(元宗)と言っても過言ではないでしょう。孫皓(元宗)はとにかくどうしようもないわがままで、さらに極悪非道な人間でした。自分に歯向かう輩はもちろんのこと、意見した人間も許すことはできず、目玉をくりぬくなどの悪行の限りを尽くしていました。2500人の宮女を抱えていたと言われていて、さらに意にそぐわない場合宮女であろうとも平気で殺していたとされます。こんな孫皓(元宗)ですが、呉が晋に呑まれた後四年後に病死したのですが、孫皓(元宗)に限っては病死では手ぬるいのではないかと言うのが個人的意見です。
恐らく董卓(仲穎)よりも非道で、袁術(公路)とりもダメ人間だったのではないかと思います。もし私が三国志の人物誰か一人を葬ることが出来ると言われたら間違いなく孫皓(元宗)を選びます。
まとめ
■ まとめ
まとめ
いかがだったでしょうか。今回は誰を守りたいというのではなく、誰を攻撃したいか、誰を葬りたいかと言う角度から君主らを紹介しました。
いずれも「こいつは倒さなければ気が済まない!」と思える人物、エピソードだったのではないでしょうか。
董卓(仲穎)や曹操(孟徳)の非道っぷりは何度も露出されますが、三国志にはその他にもどうしようもない人間、生かしておけない人間が多数存在するというのが分かってもらえたら幸いです!
自分なりに「こいつだけは倒したい!」という人間を決めるのも三国志を楽しむ方法の一つだと思いますよ!