三国志・蜀の後半を支えた武将・張翼と張嶷とはどのような人物なのか

三国志・蜀の後半を支えた武将・張翼と張嶷とはどのような人物なのか

蜀の後半を支えた数少ない名将の中に「張翼」と「張嶷」がいます。三国志演義では目立たない二人ですが、三国志正史からその活躍ぶりを紹介していきましょう。


蜀の後半を支えた武将たち

蜀の後半を支えた武将たち

蜀の後半を支えた武将たち

劉備(玄徳)が健在な頃は、その配下には関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲といった五虎大将軍をはじめ名将が数多くいました。しかし蜀が建国され、夷陵の戦いの後に劉備(玄徳)が没すると、戦場で活躍できる武将の数が大幅に減っていることに驚きます。五虎大将軍で残っているのは趙雲のみ。他に猛将と呼べるのは魏延くらいでしょうか。戦の経験が豊富なところでいくと馬岱や廖化。他に李厳、馬謖、陳式、馬忠、王平そして今回ご紹介する「張翼」「張嶷」ということになります。後に魏より投降した姜維や夏侯覇なども加わりますが、魏や呉に比べて人材面でもかなり厳しい状況だったのが蜀でした。諸葛亮がいたからこそ、魏を相手に善戦できていたといえます。

張翼の統治

張翼の統治

張翼の統治

張翼、字は伯恭。益州犍為郡の生まれで、なんと劉邦の軍師を務めた張良の血筋です。後漢においては三公の一つである司空に就任した祖先もいます。名門といってもよいでしょう。三国志正史では劉備(玄徳)が益州を治めるようになってから仕官したことになっていますが、三国志演義では益州牧・劉璋の配下として登場し、守将を殺害して劉備(玄徳)に降っています。

県令や太守などを歴任した後、231年からは都督として南の異民族を統括するようになります。しかしこの張翼は法に厳格で、融通のきかないところがあり、そのため異民族の反発を買うことになるのです。233年に異民族がついに反乱を起こすと、張翼は成都に呼び戻され、代わりに馬忠が異民族を統治することになりました。馬忠は張翼が事前に準備していた軍備を活用し反乱を平定します。そして闊達な人柄が異民族にも受け入れられて、その後の馬忠の異民族統治は順調だったとされています。どうやら馬忠と張翼は正反対の性格だったようです。

姜維との軋轢

姜維との軋轢

姜維との軋轢

三国志正史には蜀の国内では不和が多かったと記されています。特に劉備(玄徳)、諸葛亮がこの世を去った後は対立が多く見られるようになります。魏延と楊儀は有名ですが、他にも楊儀と劉巴、魏延と劉琰、姜維と楊戯(楊儀とは別人)などがあげられます。その中の一つに姜維と張翼の不和もありました。政敵というよりは意見の衝突といった感じです。

張翼が姜維と対立したのは北伐についてです。諸葛亮の後継者である姜維は国の疲弊を顧みずに北伐を継続していきます。張翼はこれに対し真っ向から反対しています。もとも益州の住民にとっては漢の復興などに興味はなかったのかもしれません。それでも必死に従ったのはやはり劉備(玄徳)や諸葛亮といったカリスマが存在したからです。諸葛亮が亡くなった今、本気で魏を倒すことなど夢のまた夢。無駄に国が疲弊していくだけのことでした。しかし一方で蜀の建国の志は漢の復興ですから、皇帝の劉禅も姜維の主張を応援しなければならないのです。結果、張翼の反論は聞き入れられませんでした。むしろ鎮南大将軍として北伐に同行させられています。

北伐の最中も姜維と張翼の意見は対立しました。姜維もさすがに不快に思ったようです。それでも人材の不足している蜀ですから、姜維は張翼の協力を必要とします。このあたり一枚岩になりきれなかったことも蜀を衰退させていった原因なのかもしれません。

張嶷の統治

張嶷の統治

張嶷の統治

張嶷、字は伯岐。益州巴西郡の生まれで、張翼とは違い貧しい家で育っています。しかし武勇の腕前はかなり知られていたようです。山賊退治なども果敢に行っています。張嶷は策略も用いて相手を討伐するのが得意でした。劉備(玄徳)に仕えてからは、馬忠の副将として南蛮の制圧で活躍しています。恩徳と威信、つまりアメとムチを使い分けて統治したため、異民族からも慕われました。張嶷が中央に召喚された際には、異民族の住民たちは泣いてそれを止めたといいます。さらに百を超える異民族の王たちが張嶷を慕って蜀に朝貢するようになったそうです。

武勇、知略、治政と三拍子そろっていたのが張嶷なのです。しかし三国志演義では南蛮の制圧において、孟獲の妻の祝融と一騎打ちを演じて敗れ、捕縛されるという扱いになっています。おそらく張嶷が活躍しすぎると諸葛亮が霞んでしまうからこのような扱いになったのではないでしょうか。もっともっと高く評価されていいのが張嶷なのです。

張嶷と姜維

張嶷と姜維

張嶷と姜維

張翼とは不仲だった姜維ですが、張嶷とはどうだったのでしょうか。諸葛亮が健在だった頃には張嶷も北伐で異民族相手に活躍しています。ただし姜維が北伐を再開した際には、張嶷はすでに重病でした。歩行も困難だったそうですが、それでも張嶷は出陣します。北伐に反対したというよりも死に場所を得て喜んでいる印象があります。

北伐での張嶷は、魏の李簡の蜀への投降に貢献しました。さらに蜀軍が退却する際には殿を志願し、敵を多く討ち取りながら最期は徐質に討たれています。徐質はその後、姜維の軍に敗れて戦死しました。病をおして出陣し、命をかけて味方を守る張嶷の姿はまさに忠烈の士です。張嶷の出陣の際には皇帝・劉禅も涙を流したといいますし、戦死した報告を聞いた異民族もまた涙を流したそうです。張嶷の存在は、北伐を主張する姜維にとって心強かったのではないでしょうか。

まとめ・張翼と張嶷

まとめ・張翼と張嶷

まとめ・張翼と張嶷

どちらも蜀の後半を支えた武将であり、姓が同じ「張」で字も同じ「伯」があるため混同されがちな張翼と張嶷ですが、働き方はずいぶんと違ったようです。三国志演義だとほとんど登場する機会もなく、活躍も目立たない二人ですが、三国志正史には立派な活躍ぶりが記されています。

ちなみに張翼は車騎将軍にまで出世しており、最期まで姜維と行動を共にしています。剣閣で魏の侵攻を防いだ後は、陥落した成都に帰還しました。蜀の滅亡まで戦いぬいた武将の一人なのです。姜維は鍾会と組んで反乱を画策、魏将を皆殺しにしようとしたところを見抜かれて逆に殺されています。張翼もまたこのときの乱戦で命を落としたそうです。

張翼や張嶷のような武将がもう少しいたら、蜀の将来も変わっていたのかもしれません。しかし実情は逆で、徹底抗戦を主張する者も少なく、263年、劉禅は魏に降伏し、蜀は滅ぶことになるのです。





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