三国志・呂布の強力な部下たち。八健将のメンバーとは?

三国志・呂布の強力な部下たち。八健将のメンバーとは?

三国志最強と呼ばれる飛将「呂布」。その強力な部下たちを「八健将」と呼びました。今回はその八健将のメンバーをご紹介いたします。


呂布の八健将

三国志最強の武将と名高い「呂布」。「三国志演義」ではその配下の勇将をまとめて「八健将」と名付けています。同じようなまとめ方に蜀の「五虎大将軍」がありますが、こちらはかなり有名です。関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲を指します。しかし、呂布の八健将といわれてもなかなかピンときません。呂布の配下で有名な人物といえば真っ先に思い出されるのは「張遼」と「陳宮」でしょう。「高順」の名前が出てくる人はかなりの三国志通です。他の名前はどうでしょうか。今回は呂布配下の八健将についてお伝えしていきます。

序列8位と7位の武将

八健将は序列が決まっていたようです。序列が上であればあるほど有力な武将ということになります。

序列8位は、「侯成」です。字も出身地も不明。呂布に仕えた後は曹操に仕えていますが、その後の消息も不明です。盗まれた馬を追いかけて取り戻したという武勲が残っています。禁酒中の呂布に酒を勧めて猛反発にあい不信感を強め、籠城時に主君である呂布を裏切りました。三国志演義では呂布の愛馬・赤兎馬を盗んでいます。呂布はこうして生け捕りにされたのです。手際の良さは評価すべきでしょう。

序列7位は「宋憲」です。侯成同様、字も出身地も不明です。三国志演義では袁術軍の陳蘭を撃退する活躍を見せています。侯成らと共に呂布を裏切り、曹操に寝返りました。三国志演義ではこの後、官渡の戦いにおいて再登場し、袁紹配下の猛将・顔良に討ち取られています。

序列6位と5位の武将

続いて序列6位です。こちらは「魏続」になります。宋憲とはペアで登場する機会が多く、三国志演義では宋憲と共に袁術軍の陳蘭を撃退しました。魏続は呂布の縁戚にあたり優遇されていたようです。しかし最終的には侯成、宋憲と共に呂布を裏切っています。三国志演義では、曹操に仕えてからは官渡の戦いに出陣し、やはり宋憲と共に顔良に討たれています。

序列5位は、「成廉」です。あまり馴染みのない武将ですね。呂布が長安を脱出したばかりの頃、袁紹に依頼されて常山の張燕と戦います。成廉は敵本陣に何度も突撃を仕掛け撃破するという武功をあげました。曹操との戦いでも奮闘しましたが、三国志演義では楽進に射殺されたことになっています。

序列4位と3位の武将

それでは序列4位になります。「曹性」です。「三国志正史」と三国志演義では役割がかなり異なる人物です。正史では上司の郝萌の反乱に対抗し、その腕を斬り落としました。そして駆けつけた高順に救出されています。三国演義では夏候惇の片目を射抜いて逆鱗に触れて倒されました。

序列3位は「郝萌」です。出身は司隷です。196年、呂布が徐州に腰を据えたときに突如反乱を起こしました。しかし部下の曹性に腕を斬り落とされ、駆けつけた高順に討たれています。どうやら袁術が離反を仕組んだようで、郝萌の他、陳宮もまた裏切るところだったと記されていますが、郝萌が死んだことで陳宮は不問に処されています。三国志演義にそのエピソードはなく、外交官の警護を務めていた際に敵の張飛に捕まり処刑されています。

序列2位と1位の武将

それでは八健将のナンバーツーの発表です。「臧覇」になります。臧覇、字は宣高。兗州の出身です。荒々しい青年期を過ごしており、食客数十名を率いて不正によって逮捕された父親を奪い返してきたという逸話があります。当初は徐州の陶謙に仕えていましたが、徐州の開陽で独立勢力となり、呂布の兵と衝突します。思いのほか押し込んでくる臧覇の武勇を見込んで呂布は和睦しました。呂布の死後は曹操に仕えて青州や徐州を治め、後年は執金吾として曹丕の軍事顧問を務めています。八健将では珍しく、この臧覇だけは配下ではなく、あくまでも同盟者の扱いです。(三国志演義では呂布の配下として登場し、八健将のリーダー格として扱われています)

さあ、八健将・筆頭の発表です。こちらは「張遼」になります。張遼、字は文遠、幷州の生まれです。丁原に仕えて上京し、丁原死後は董卓に仕え、董卓の死後は呂布に仕えています。張遼は徐州に拠点を構えてからは騎都尉として攻めてくる夏候惇を撃破するなどの活躍を見せています。

三国志演義では呂布と共に捕縛された際、関羽と劉備の取り成しによって命を救われ、以後、曹操に忠義を尽くしています。正史でも関羽と共に官渡の戦いの先鋒を務め、猛将・顔良を破りました。兄弟のような間柄であったとあります。関羽と張遼が互いの力を認め合っていたことは間違いないでしょう。

張遼は曹操軍の中でも最強ランクに属する猛将です。呉との戦場となる合肥では、孫権を追い詰めています。数々の武功をあげて前将軍にまで出世していくことになるのです。

まとめ 名将・高順はなぜ八健将に含まれていないのか

以上が八健将です。いずれも呂布にその武勇を認められた一騎当千の武将たちだったことでしょう。

しかし、ここで一つの疑問が生まれます。高順の名前がありません。陳宮は軍師ですから八健将に含まれないのは仕方ないにせよ、高順は呂布の右腕として長く貢献して活躍しています。その勇猛さから「陥陣営」という異名を持っているほどです。都督としては、反乱を起こした八健将の一人・郝萌を討ち取っています。中郎将としては徐州で夏候惇を撃破しています。呂布の家臣としては珍しく呂布に対しても真っ向から諫言しており、そのために疎んじられました。魏続と率いる兵を替えられています。軍師である陳宮とも相性が悪かったようです。三国志演義では八健将に含まれず、夏候惇との一騎打ちでは敗走しています。(その後に曹性が夏候惇の目を射、高順は反撃し夏候惇を撃破しました)

八健将の筆頭にいてもおかしくない高順ですが、その座を張遼に譲っています。呂布に最期まで忠義を尽くした高順は、三国志演義では評価が低いようです。後に曹操に降って出世することになる張遼や臧覇の二人の方が高く評価されており、それが張遼や臧覇が八健将を率いていたという記述につながったのかもしれません。しかし正史での描かれ方からすると、高順は八健将より上位に位置していた大幹部です。最期は呂布と共に八健将の裏切りにあって生け捕りにされ、処刑されています。

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