三国志の怪談~壱の巻~

三国志の怪談~壱の巻~

また今年も暑い季節がやって参りました。夏と言えばテレビでも心霊写真特集や心霊体験の特番が組まれる時期です。三国志の武将たちも聞いたことがあるのではないかと思われる古い怪談や当時の怪談などを集めてみましたので、ぜひご覧ください。


暑い夏を怪談で乗り切ろう!!

暑い夏を怪談で乗り切ろう!!

暑い夏を怪談で乗り切ろう!!

今年も暑い夏がやって参りました。夏と言えばテレビや雑誌でも心霊写真特集や心霊体験の特番が組まれますよね?
それに便乗して、三国志のキャラクターが登場する怪談や三国志時代に起きた心霊現象、ひょっとしたら魏、呉、蜀の武将たちも聞いたことがあるのではないかと思われる古い怪談をお伝えします。

千日酒

千日酒

千日酒

狄希(てっき)は、中山国の人です。彼は「千日酒」という酒を造ることができて、これを一杯飲むと、千日間酔うというものでした。
さて同郷の劉玄石(りゅうげんせき)は、たいへんな酒好きで、その酒を飲みにやってきたのです。

希は、すぐに断りました。
「酒は仕込んで間がなく、まだまろやかに熟成していませんから売るわけにはいきません」
玄石は「熟成していなくてもけっこうだ。とにかく一杯くれ」といわれ、とうとう断れないで、一杯飲ませてしまいました。すると、味をしめて「ああ、甘露、甘露…もう一杯飲ませろ」。
希は「また出直していらっしゃい。今日のこの一杯で、千日間酔って眠ることになるんです」と言って、お代わりを求める玄石を家に帰るように促しました。
玄石は不満そうでした。ところが帰宅するとすぐに酔いつぶれて、ころりと死んだように動かなくなってしまいました。家の者たちはなんの疑いももたず、丁寧に葬ってしまいまいた。

三年が経って、希は「玄石はきっと酔いが覚めたはずだ。安否を尋ねよう」と玄石の家を訪ね、「玄石さんいかがですか?」と尋ねました。
家の者はびっくりして「玄石は死んでから、喪も明け、大分経っています」と希に告げました。希は驚いて「酒がすばらしくて、酔って眠ることが千日間です。今はちょうど酔いが醒めているはずです」。そこで玄石の家族は大騒ぎになって、家の者たちに塚を掘らせ、棺をこわして、中を開けさせました。すると、酒臭いにおいが空高く天まで臭いました。玄石は目を大きく見開き、気持ちよさそうに口をあけて声をあげました。「あー、いい気分だ、すっかり酔っぱらったー」。続いて希にこのように尋ねました。「お前の酒は、最高だ。たった一杯ですっかり酔い潰れた。今、目が醒めたが、何時だ?」

墓のそばにいる者たちは、どっと笑いざわめいたところ、玄石の吐く酒のにおいが、鼻の中にツンと入ってきて、それぞれ悪酔いして気分が悪くなり、寝転んでしまいました。

三国因(閙陰司司馬貌断獄:とういんししばげいだんごく)

三国因(閙陰司司馬貌断獄:とういんししばげいだんごく)

三国因(閙陰司司馬貌断獄:とういんししばげいだんごく)

後漢の光武帝の時、司馬仲相という書生が酒を飲みながら史書を読んでいると、ちょうど秦の始皇帝の無道ぶりが書いてあったので、独り言で秦の始皇帝をしきりに罵っていました。そこへ50人ばかりの役人が突然出現し、彼に皇帝の装束を無理矢理着せ、車に乗せて連れ去ってしまいました。

着いた所はなんとあの世の陰司(閻魔大王が勤める裁判所)、報冤の殿でした。そこで司馬仲相は、天帝の命令により死者の怨みの数々を裁くことになるのだが、そこへ出てきたのが、血まみれの韓信、彭越、英布の3人、いずれも漢王朝開国の功臣でありながら高祖劉邦のために無惨に殺害された怨みごとを次々に訴えました。

仲相は3人の言い分を聞いたあと、さらに劉邦と呂皇后、それに証人として蒯徹(かいてつ:韓信の参謀)をも召喚し、全員の口実を書き取ったうえ、しかるべき判決を天帝に上奏しました。それを受けたの天の玉皇皇帝は、ただちに次のような判決を下しました。

漢の高祖は功臣に背いたので、漢の天下を三分させ、韓信は曹操、彭越は劉備(玄徳)、英布は孫権に各々転生させる。そののち、3名には魏、蜀、呉をそれぞれ建てさせる。劉邦と呂皇后は献帝と伏皇后に膿まれかわらせて罰を受けさせる。また蒯徹は諸葛孔明とし、司馬仲相は難しい裁判を見事に処理したので、司馬仲達に転生させ三国を統一させる。

この後約200年後、玉皇皇帝の思し召しのとおりに中国では三国が県立し、司馬仲達が礎を築いた晋が三国統一を果たすことになります。

天命(天運)

天命(天運)

天命(天運)

後漢のころのことです。陳仲挙(ちんちゅうきょ)がまだ身分の低いとき、黄申(こうしん)という役人の家に泊まりました。そのとき黄申の妻が出産したのです。

お産の直後、申の家の門をトントン叩く者がいましたが、申の家の人々は誰も気がつきませんでした。すると家の裏の方から「客室に人がいて、中へは入れないんだ」という声が聞こえました。門を叩いていた者が、「裏門から入ればよい」といったので、裏の方の者は、中へ入っていったが、すぐにもどってきました。待っていた者が「名は何とつけたのか。寿命は何歳か」と尋ねました。すると中へ入ってきた男が「名は奴(ど)、男で寿命は十五歳」と答えました。
続いて待っていた者が「どうやって死ぬはずになっているか?」
中へ入ってきた男が「武器で死ぬはずだ」

仲挙は、この問答を聞いていたので、家人に告げたところ「私は人相を見ることができますが、この子は武器で死ぬことになりますよ」というので、黄申とその妻は息子に小刀も持たせないように注意深く育てました。 ところが十五歳になったときに、梁の上にのみを置き忘れた者がいて、その切っ先は見えないで、柄だけが下から見えていました。十五歳になっていた奴(ど)はそれを棒切れだと思って、鉤にひっかけて、ひもを引くと、そののみは真上からまっすぐに頭の上に突き刺さって、奴は死んでしまいました。
 
仲挙は出世をし、予章の太守となって赴任の折、役人を黄申のところに遣わし、贈物を届けさせて、奴の安否を尋ねました。その家人が奴が亡くなったことと死因についてつぶさに告げてくれました。
仲挙は、これを聞いて、
「これが天命というものだろう」と長嘆息をしたということです。

まとめ

まとめ

まとめ

中国では怪談話を集めて編まれた古文書がいくつか存在します。日本の昔ばなしや古い怪談のなかにもこれらから影響を受けていると思われるエピソードがあり代表的なものには「天女の羽衣」、「まんじゅうこわい」、「地雷也」などがあります。

古文書に記されている怪談には、心霊体験の話だけでなく手品の話や人間と動物の絆に関する話など「科学的に説明し難い話=怪談」という定義になっているようで、我々のイメージする怪談とはちょっと趣向が異なっています。

まだまだ怪談はありますので、次回もお楽しみに。





この記事の三国志ライター

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