三国志を華やかに ~私達だってイロイロ戦ってます~

三国志を華やかに ~私達だってイロイロ戦ってます~

三国志では英雄が活躍する数々の戦いが描かれてますが、男ばかりの活躍ではむさ苦しくてかないませんよね。そこで華を添えてくれるのが、女性たちです。


美女といえばこの人

 時に男を奮い立たせ、時に自らを犠牲にして恩に報い、終には不甲斐ない夫に代わり自ら出陣したりして、戦いに明け暮れる男たちの血なまぐさい物語を忘れさせてくれます。そんな女性の中でも一番の美女といえば、貂蝉を真っ先に思いつくのではないでしょうか。『美女連環の計』で王允の恩に報いた三国志演義の中でひときわ輝く存在ながら、実は架空の人物というのはご存知のとおりです。それでも彼女にまつわる逸話もたくさん残っており、人気の高さは三国志の女性の中では一番かもしれません。演義を語る上で外せない女性キャラの一人には違いありません。

実在の美女といえばこの姉妹

正史にも名前があり、しかも美女と書かれている保証付きの美女といえばもうお分かりですよね。二喬と呼ばれる姉妹、大喬と小喬姉妹です。
大喬は孫策の妻に、小喬は周瑜の妻になったことでも名前を知られています。特に映画『レッド・クリフ』後は、三国志の美女として名を馳せたのではないでしょうか。
『呉書』「周瑜伝」によると、姉は大橋、妹を小橋といい絶世の美女だったと書かれています。また孫策が「橋公の二人の娘は美貌だが、我々(自分と周瑜)の妻になれたから喜んで良い」と言ったというから、ほぼ間違いなく当時でも美貌で知られていたようです。

実際に活躍した女性

実際に史実でも演義でも活躍した女性と言えば、この人が思い浮かびます。そう、孫権の妹で劉備(玄徳)に嫁した孫夫人です。京劇での名前「孫尚香」としても知られていますね。
『蜀書』「法正伝」では「孫権の妹は才気と剛勇に於いて兄たちの面影があった」と書かれています。阿斗を連れて呉に帰ろうとしたり、『レッド・クリフ』では魏軍に混じって敵城視察したり、『晴天航路』内では、虎に乗って劉備(玄徳)のもとに来たんじゃなかったかしら。こんな解釈されても、そうよね。やりそうよねと見る人読む人も納得するから、そうとう豪胆で気の強い女性だったようです。TV版三国志では、確か彼女は劉備(玄徳)に刃を突きつけてましたね。
しかし、残念なことに彼女が美女だったかはどの諸書にも書かれてないんです。でも、個人的には一国の姫ですから母親はきっと選りすぐりの美女だったと想像し、きっと孫策も孫権もイケメンなので、孫夫人は美人だ! と思ってます。ええ、美人なんです。

阿斗を連れて呉に戻ろうとした孫夫人

「演義」でも有名な趙雲の阿斗救出のシーンの出処は『蜀書』「穆皇后伝」注にあるお話から。本来は、劉備(玄徳)が益州を攻めている間に、阿斗を連れ呉に戻ろうとした孫夫人から趙雲が阿斗を取り返したのが史実のようです。なので甘夫人とか糜夫人とか関係ないようですね。実際に趙雲が阿斗を体にくくり付けて戦ったのも怪しいのかもしれません。

美人だったばっかりに

孫呉の美女以外でも、史実に出てくる美人がいます。袁紹の次男袁煕のの妻「甄氏(しんし)」。
『三国志』(魏書 文昭甄皇后伝)では、曹操が冀州を攻め落とした歳、曹丕がそこで見つけた甄氏の美貌に一目惚れ。そこで曹操が嫁にと迎い入れ曹丕の正妻になった彼女ですが、曹丕が帝位に即いた後、山陽公の娘二人が側室になり、失望した甄氏が恨みごとを言ったところ、この男何を思ったのか逆上して、鄴に居た甄氏に使者を送り、自殺を命じたとあります。
かわいい女のヤキモチなのに、な! 自分で勝手に人の妻に惚れて、戦土産に手に入れたくせにさ、酷いよね。美人と見たら手当たり次第は親譲りかよ。
と当時の民衆が思ったかは分かりませんが、この悲劇的な最後から彼女の存在は伝説になりました。
『三国志』(魏書 文昭甄皇后伝)王沈の魏書によると、逆で曹丕は帝位に即いた時に甄氏を皇后に立てようとしたが3度、甄氏は勅を辞退した、とあります。その後甄氏は自殺ではなく病で鄴で崩じた、ということになっています。
何れにしろ、美人ゆえの波乱に飛んだ人生だったようです。

蜀からはこの人の悲劇を

劉琰の妻が呉太后への年賀で参内した時、太后が特にこの妻を気に入り留め置いたことが原因で起きた騒動の主人公、胡氏の話です。蜀政権の末期で、蜀の衰退ぶりを語る話として演義にもあるエピソードですが、実は史実です。
234年1月、呉太后への年賀に訪れた胡氏を、何故か呉太后が気にって後宮へ留め置いたため、家に帰れたのは一月後でした。一月も後宮へ居たわけだから、劉琰の心中は穏やかじゃありません。なにせ、胡氏は名だたる美人妻ですからね。劉琰は劉禅と通じたに違いないと邪推し、事もあろうか吏卒を呼んで胡氏を鞭打たせ、その上履物で顔を叩かせた上で離縁してしまったんです。
酷い夫ですよね。後に訴え出た胡氏により、劉琰は投獄され市場で処刑されました。胡氏が美人だった故の事件ですが、それ以降大臣の妻や母が参内する風習はなくなったというから、大事件だったようです。
劉琰が一番悪いが、留め置いた呉太后も非があると思いません? 自分が留め置いたんだから、何もなかったと手紙を書いて持たせれば良かったのにね。
劉琰が器の小さい男と言うのはこのエピソードで十分分かるけど、実際何の手柄もないまま何故要職を歴任できたのかは謎ですね。

実在の美女 樊氏(はんし)

もう一人、正史『趙雲別伝』にも「天下に女は大勢いるが非常な美人」と記録が残っている美女、樊氏の悲劇です。「趙雲の妻」との縁談が持ち上がった女性、といえば分かる人も居るのではないでしょうか。樊氏は赤壁後劉備軍が攻略した荊州桂陽郡の太守、趙範の兄嫁でした。寡婦となっていた為、趙雲との縁談が持ち上がったのですが、同じ趙「同姓」ということで、兄嫁を娶ることになると趙雲が頑なにこれを拒否し、この縁談は立ち消えとなったそうです。この話は、美女を袖にした理由から趙雲の自分に厳しいところばかりが注目され、美談として演義でも語られています。でも、樊氏からすればかなり酷い話と思いませんか。当時の寡婦の暮らしを考えると、趙雲が断れば後に続く男が現れるのか、と彼女の行く末が心配になりましたよ。案の定、樊氏のその後は『趙雲別伝』にも、演出された演義にも出てきません。願わくば、気配り王子の趙雲が裏で彼女の再婚相手を探し、お陰で晩年は幸せに暮らしていた、なんて逸話を期待したいところです。
自分の信念の為に一人の女性の幸せを反故にしたんだから、趙雲としてもその後のことは気になったはず、と私は勝手に期待してますが事実は不明です。

三国志を彩る美女たち

今回は私の大好きな「貂蝉」、大喬、小喬、孫尚香こと孫夫人、甄氏、胡氏、樊氏をご紹介しました。如何だったでしょうか。興味を持って頂けたら嬉しいです。紹介した以外にも、知っていて欲しい女性は沢山三国志には出てきますので、機会があればまたご紹介したいと思います。

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