はじめは丁原(建陽)を主として仰ぎ、董卓(仲穎)の誘いに乗って父子の契りを結び、王允(子師)が刺客として送った貂蝉(ちょうせん)のハニートラップにまんまとハマって董卓(仲穎)までも殺害した「主殺し」の悪名高い呂布(奉先)。しかし、実は主殺しを繰り返した武将は、他にも・・・。劉繇(正礼)配下の笮融(字は不明)です。
中国四大美人の一人 三国志 貂蝉(ちょうせん)はどうなった?
三国志の最高の美女貂蝉は王允の策略により董卓と呂布の仲違いをさせることに成功させます。これにより反董卓連合すら叶わなかった董卓討伐を可能にした訳ですが、その後の様子は未知とされています。ここではそんな貂蝉(ちょうせん)の最後についての仮説を展開していきたいと思います。