三国志の時代に行われていた儀式【前編】

三国志の時代に行われていた儀式【前編】

三国志にはちらほら儀式に関する記述がみられます。代表的なものには「桃園結義」、「献帝の即位式」などがあります。その儀式や使用されたアイテムについてご紹介します。


古代~三国時代の儀式の重要性

古代~三国時代の儀式の重要性

古代~三国時代の儀式の重要性

三皇五帝時代~三国志の時代のことを古代と言います。古代の中国では日本と同じように儀式や祭祀、卜占(ほくせん)が政治に取り入れられていました。儀式は皇室だけでなく、一般庶民にも浸透しており結婚式や元服(成人式)もそのひとつとされています。
三国志にも「桃園結義」をはじめ「献帝の即位式」など儀式や祭祀に関する記述が見られます。ストーリー上では「張飛の自宅の裏庭に咲いていた桃の木と劉備(玄徳)の母を拝して、義兄弟の契りが行われた」、「兄の少帝が暗殺され崩御したため、弟の献帝が即位」としか書かれていないのですが、その儀式やアイテムについてご紹介します。

桃園結義

桃園結義

桃園結義

羅貫中が書いた「三国志演義」は、「桃園結義」から始まっています。「桃園結義」を簡単に説明すると、義勇軍入隊を決意して意気投合した劉備(玄徳)・関羽・張飛が張飛の義兄弟の契りです。
この儀式は、張飛の自宅の裏庭の桃園に祭壇を設置して、香炉を置いて焚き、白馬と黒牛と紙の銭を供え、酒の入った盃を手に天地神明に義兄弟となることを宣誓したと伝えられています。
さて、ここでみなさんに注目してもらいたいのが、「白馬と黒牛をと紙の銭…」の部分です。

生贄と冥銭

生贄と冥銭

生贄と冥銭

中国、日本、インドなどのアジア圏では、死者や先祖霊が冥府で金銭に困らないよう、副葬品に冥銭を入れる風習があります。NHK大河ドラマ「真田丸」で真田信繁(幸村)の旗印となっている「六文銭」が日本における冥銭です。劉備たち3人が紙の銭を供えたのは、先祖霊に対するお供えものであることを表しています。
次に「白馬と黒牛」についてなのですが、儀式で動物を供えるというと「生贄」という言葉が連想されます。古代中国では、馬・牛・豚・羊・ときには人間が生贄として神に捧げられました。中国以外の国でもギリシャ(ユダヤ)・ローマ圏では羊やヤギ、アッシリアでは豚が生贄に選ばれていることからその民族で神聖な動物として認められた動物が用いられていたようです。
中国では上記の動物に加えて、犬も犠牲獣(生贄の動物)として用いられていました。

劉備(玄徳)たちが白馬と黒牛を供えた理由

劉備(玄徳)たちが白馬と黒牛を供えた理由

劉備(玄徳)たちが白馬と黒牛を供えた理由

劉備(玄徳)たちは生贄として白馬と黒牛を捧げました。これは、古代中国の思想である陰陽思想が関係しています。陰陽思想とは、三皇五帝時代中国史上初の帝王黄帝が「この世のあらゆるものには陰と陽の二つに二分できる」とした思想です。
陰陽思想によれば、馬は「陽」の性質をもち、牛は「陰」の性質をもつとされています。また、白は「陽」、黒は「陰」の性質をもつとされているため、白馬は純粋な「陽」、黒牛は純粋な「陰」の動物です。そして、白は「太陽」を黒は「太陰(月)」を表す色なので、陽の気が集まる天に住まう天神には白馬を、陰の気が凝固している地に住まう地神には黒牛を供えて真剣に義を結ぶことを誓いあうので、天地の神々も拒むことが出来なかったことでしょう。

義兄弟の契り

義兄弟の契り

義兄弟の契り

三国志意外の中国四大奇書「西遊記」、「水滸伝」、「封神演義(殷周伝説)」にも、義兄弟の契りは書かれています。その中でも「桃園結義」は最も有名です。義兄弟の契りでは数々の名ゼリフが誕生し、ある意味セオリーのようなものが確立されました。義勇軍が募集されたこの時代には、涿県だけでなく、各地で義兄弟の契りが行われていたことでしょう。

桃園結義の名ゼリフ

桃園結義の名ゼリフ

桃園結義の名ゼリフ

桃園結義で劉備・関羽・張飛が天地の神々に宣誓した名ゼリフは以下になります。
「今三人姓氏異なると言えども、義に結んで兄弟となり、心を合わせ漢室を扶(たす)け、上は国家に報い、下は万民を救うべし。同年同月同日に生まれること望まざるとも、願わくば同年同月同日に死なん」

義兄弟の契りのセオリー

義兄弟の契りのセオリー

義兄弟の契りのセオリー

ゲームやドラマでは、この名ゼリフを三人で宣言してすぐに盃を口へ運びグイッと飲み干すシーンで終わらせているものがありますが、この描写には疑念があります。

セオリーでは、大杯または壺に全員手のひらを短刀で切って血を絞り入れてから、各自の持つ盃に酒が注がれます。自分が口をつける前に、両手で盃を掲げ、足下の地面に左から右へ弧を描くように酒を垂らして天地の神々に捧げてから飲み干して、盃を地面に叩きつけて割る。という手順が踏まれます。

皇帝祭祀 即位儀礼

皇帝祭祀 即位儀礼

皇帝祭祀 即位儀礼

三国志では約100年の間に何人も皇帝が即位します。しかし、皇帝にとって人生一度きりの国事行事であり、国の慶事である即位儀礼のことについてはまったく書かれておらず、後漢のラストエンペラー献帝は「兄の少帝が崩御し、弟の献帝が即位」、魏を建国した曹丕については、「献帝に禅譲を迫って、譲位さらて即位」としかストーリーに出てきません。皇帝の即位儀礼はどんな式典なのでしょうか。

中国の皇帝とヨーロッパ諸国の皇帝の即位式の違い

中国の皇帝とヨーロッパ諸国の皇帝の即位式の違い

中国の皇帝とヨーロッパ諸国の皇帝の即位式の違い

皇帝の即位式と聞くと、世界史の授業で習うナポレオンの戴冠式をイメージされる方が多いと思います。「○○キングダム」という国名が割拠していた中世ヨーロッパの帝王たちの即位式では、聖職者に跪いて王冠を被せてもらう戴冠式が即位式にあたります。
しかし、中国の皇帝は天命を受けた天子(神より遣わされた神の子)なので、皇帝よりも偉い人間は世界に存在しない。つまり、跪く対象がいません。そして、中国の皇帝にとって冠はそこまで大切なものではなかったので、代々受け継がれることはありませんでした。

そこでみなさんに質問があります。「伝国の玉璽」をご存知ですか?始皇帝から漢室へ渡り、それを呉建国の礎を築いた孫堅が発見したり、孫策が兵馬を得るために袁術に差し出したアイテムがこの「伝国の玉璽」です。これこそ、皇帝たる証です。つまり、中国では「玉璽」というハンコを受け継ぐことで即位が成立するのです。少々脱線したので、話を即位儀礼に戻します。
中国における皇帝の即位儀礼はおよそ三段階儀式が執行されました。

皇帝の即位儀礼

皇帝の即位儀礼

皇帝の即位儀礼

大まかな流れは以下の通りですが、生前退位によって譲位する禅譲、皇帝がお隠れになる崩御、
皇太子未定の場合によって(1)の内容が変化します。

(1)身分が高く限られた官吏と皇太子との間で行われる「冊書」「璽綬」「袞冕服」の授与。
即位儀礼の中心となる儀式です。これが済むと、皇太子服から龍袍(袞冕服十二章)に着替えます。
(2)龍袍(袞冕服)を着用し、大極殿(皇帝の居所)で群臣に皇帝即位を告知、マニュフェストを通知して場合によってはお触れを発表することもあります。そして、この式で群臣より拝賀を受けます。
(3)後日、郊祀(南郊の壇上)に登ってして天神に即位を告げる「柴燎告天」を行います。また、宗廟へ(謁廟)赴いて祖先の御霊に即位したことを報告します。

生前退位による禅譲

生前退位による禅譲

生前退位による禅譲

皇太子は正殿に控え、皇帝は譲位の冊書(詔)を書いて、尚書令(書記長)に皇太子の待つ正殿に届けさせます。尚書令は皇太子の前で冊書(詔)を読み上げます。同じく皇帝から司令三公ほか、側近の役職にある者に璽綬(皇帝六璽「皇帝之璽」「皇帝行璽」「皇帝信璽」「天子之璽」「天子行璽」「天子信璽」)・袞冕服が渡され、正殿に待つ皇太子のもとへ届けさせます。皇太子は跪き冊書・璽綬・袞冕服を受け取って皇位継承が完了します。

皇帝崩御による即位

皇帝崩御による即位

皇帝崩御による即位

尚書令(書記長)によって遺詔が作成され、遺詔を受けた皇太子が柩前で即位することになります。
玉体(皇帝の身体)が納棺された柩の前で皇太子が慟哭した後に喪服から吉服に着替えて冊書・璽綬・袞冕服が授与され、その後は譲位と同じです。

皇太子未定のまま皇帝が崩御した場合

皇太子未定のまま皇帝が崩御した場合

皇太子未定のまま皇帝が崩御した場合

皇后又は皇太后(皇帝の母親)に報告した後、皇后(皇太后)令によって皇太子が決定されます。皇后(皇太后)から定められた皇子が冊書・璽綬・袞冕服が授与され、その後は譲位と同じです。

まとめ

まとめ

まとめ

三国志を題材にしたドラマや漫画では、形だけしか書かれていない儀式や祭祀について書きましたが、意外と奥が深いと思いませんか?
科学や医療が発達していなかったこの時代の人々は、もっぱら神様や霊を信仰していました。その時代において儀式や祭祀はとても重要なものでした。なにせ占いひとつで首都や政治方針が変わってしまうほどです。
当記事には書ききれない儀式に関する情報がまだまだありますので、後編もお見逃しなく閲覧してください。





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