三国志・一騎打ちの勝率が最も高いのは、なんと超脇役の馬岱だった!

三国志・一騎打ちの勝率が最も高いのは、なんと超脇役の馬岱だった!

一騎打ちは三国志演義の見せ場ですが、そこで最も勝率が良かったのが、蜀の武将「馬岱」です。なぜこのようなマイナーな武将がここまで活躍しているのか、その謎を追います。


馬岱

馬岱の生まれた司隷扶風郡は、右扶風とも呼ばれ、長安のほど近くに位置します。董卓が拠点として30年分の兵糧を蓄えていた郿城や、北伐の際に蜀の諸葛亮(孔明)が落城させられなかった陳倉城などがあるのが、扶風郡です。中央にとっては、涼州、益州からの玄関口になります。

馬岱は馬超の従弟にあたりますが、馬超亡き後の一族を率いることとなり、陳倉侯に封じられました。ただし馬岱の詳細は、馬超の最期以上に謎に包まれています。
実は、馬岱の字が記録されていないのです。生没年も不明です。そもそも馬岱は、「三国志正史」に伝が立てられていません。蜀の武将では王平や馬忠などの伝が立てられている中で、馬岱は馬超伝や魏延伝に登場するぐらいです。

つまり、馬岱は三国志においてかなりの脇役ということになります。野球に例えると、レギュラーメンバーでもなければ、ベンチメンバーでもないぐらいの扱いでしょう。2軍ということになりますね。

馬岱の脅威の勝率

馬岱は三国志正史では、「馬超の後を継いだ」ことと、「諸葛亮(孔明)の没後に、楊儀と争って敗北した魏延を追撃して討った」ことの二点が記されており、さらに晋書には、その後は「北伐で魏の牛金に大敗し損害を出した」ことが記録されています。

そんな超脇役の馬岱ですが、「三国志演義」ではとてつもなく活躍します。
三国志演義では多くの武将たちが熱い一騎打ちを繰り返しますが、その中で最も勝率が高いのが、なんとこの馬岱なのです。勝率は実に88.9%。
五虎大将軍で最も勝率の良い趙雲ですら80%を下回っています。関羽は70%を下回っていますし、張飛や馬超は60%も下回っているのです。
この結果だけ見ると、馬岱はまさに影の主役的存在といえます。

馬岱の一騎打ち(蜀に仕える以前)

馬岱の一騎打ちの活躍は、三国志演義第58回から始まります。馬超が盟主となり、曹操に対して反旗を翻したところからです。
ここで馬岱は、鍾繇と対戦。鍾繇は一合も打ち合うことなく、退散しました。馬岱の迫力勝ちといったところでしょうか。
曹操に敗れて張魯を頼ってからは、益州を制した劉備(玄徳)の軍と戦うことになり、第65回では猛将・魏延と対戦。馬岱は魏延に押されっぱなしでしたが、そんな中で魏延の肘を射抜いて勝利を収めています。
しかし、最強クラスの張飛にはまったく敵わず、十合ほど打ち合って退却しました。この後で馬超と張飛の二百合以上続く一騎打ちが幕を開けることとなります。
ここでの馬岱の強さは、張飛には及ばないが、魏延となら互角に戦えるという評価でしょうか。

馬岱の一騎打ち(南征・北伐編)

馬超と共に劉備(玄徳)に帰順してからは、諸葛亮(孔明)に従い、南の異民族を平定するために尽力します。
第88回では、南蛮の武将で截頭大刀の使い手の忙牙長と対戦して、一撃で討ち取っています。
さらに南蛮王の孟獲の妻・祝融と対戦。祝融はそれ以前に蜀の武将である張嶷、馬忠を破っており、飛刀の使い手としてかなりの強さを披露していました。しかし策にはまり、馬岱の縄によって捕らえられています。ついでに孟獲も馬岱に敗れて捕らえられました。
こうしてみると、南征で最も功績をあげたのは、馬岱ということになるのかもしれません。

北伐でも諸葛亮(孔明)に従い、魏に協力する西羌と戦い、馬岱は西羌の丞相である雅丹を捕らえました。諸葛亮は西羌と友好関係を築くために雅丹を釈放し、武器などと共に帰国させています。
その後は、魏の総大将である曹真に従う部将・陳造とも対戦、見事に討ち取っています。
諸葛亮(孔明)が病没すると、予想した通りに魏延が反乱を起こしました。この時、魏延に従っていた馬岱は、諸葛亮(孔明)から事前に策を授かっており、魏延が漢中の城前で「誰か俺を殺せる者がいるか!?」と叫んだ途端、飛び出して魏延を討ち取っています。

9戦して8勝

ということで、馬岱は張飛に敗れた以外の対戦はすべて勝っているのです。9度一騎打ちに挑んで、8勝となります。
関羽、張飛、趙雲は30戦以上の一騎打ちを経験していますから、勝ち星はまったく及びませんが、馬岱の勝率は見事なものです。
もちろん倒した相手は、三国志演義特有の仮想キャラが多いですが、その活躍ぶりは減っていく五虎大将軍によって盛り下っていく蜀を支えました。三国志読者も馬岱に期待を込めたのではないでしょうか。

しかし、なぜ馬岱はここまで一騎打ちの勝率が良いのでしょうか?
その背景には三国志演義なりの理由が存在すると思われます。

馬岱の活躍は何を伝えたいのか?

後半の三国志は個の武勇よりも、戦略や戦術が重んじられます。そんな中で三国志読者が胸を躍らせて注目するのが、蜀の名軍師・諸葛亮(孔明)です。先を見据えたその策略は、まさに神算で、多くの難敵を撃破することに成功しています。

馬岱はそんな諸葛亮(孔明)にとって、大切な手駒というべき存在です。馬岱もまた忠実に諸葛亮(孔明)の指示に従い成果をあげます。馬岱は諸葛亮(孔明)の策略を実現する役目を担っているのです。
つまり馬岱が武勇に突出していたからこれだけの勝率を残せたわけではなく、諸葛亮(孔明)の策が的確であり、そのおかげで馬岱は敵を討ち取れたわけです。
「馬岱の勝率=諸葛亮(孔明)の勝率」ということが言えるでしょう。
後半の主役である諸葛亮(孔明)の強さを示す役割が馬岱にはあったのです。だからこそ、三国志正史に伝がない馬岱が、三国志演義でここまでの活躍をすることができたのでしょう。

まとめ・魏延を倒したという事実が馬岱を強くした

さらに、蜀の後半を支えた猛将・魏延を討ったのが、馬岱だったと三国志正史に記録されていることも、三国志演義での馬岱の活躍に大きな影響を与えたと考えられます。なにせ魏延は五虎大将軍亡き後、蜀で最強を誇る将軍です。それを討ち取った馬岱が弱いはずがありません。

実際のところ、魏延は配下の兵にも見放され、親子で逃亡している最中だったようなので、馬岱でなくとも誰でも倒せたのかもしれません。おそらく一騎打ちで馬岱が魏延を倒したようなことはなかったはずです。

しかし魏延を討ったという武功が、馬岱を精強な武将というイメージを作り上げました。本当にそこまで兵法に精通し、活躍していたら三国志正史に伝が立っていたはずです。
馬岱の一騎打ちの勝率の高さは、まさに三国志演義マジックの象徴なのかもしれませんね。

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