三国志検定3級の試験対策
■ 三国志検定3級の試験対策
三国志検定3級の試験対策
三国志検定3級の試験では、三国志演義から中心に出題されます。三国志演義のドラマや漫画、小説を閲覧・視聴することはマストですが、それだけではどこを勉強すればよいのか範囲が広すぎてどうすればよいのか困ることになるでしょう。自分の力だめしをする意味でも過去問題や例題を解くことは効果的な手段です。ところが、他の検定と比較するとマイナーな検定である三国志検定は、問題集などの書籍やネット上にアップロードされている問題がごくわずかです。あなたの勉強の助けになればと僭越ながら、三国志検定3級レベルのオリジナル問題を作成しました。
さて、あなたは何問正解できるでしょうか?
人名に関する問題
■ 人名に関する問題
人名に関する問題
問1 周瑜(公瑾)の死後、孫権(仲謀)がその後継者として大都督に任命した人物はどれか。次の選択肢からひとつ選んでください。
(A)魯粛
(B)袁譚
(C)呂蒙
(D)黄蓋
問2 諸葛亮(孔明)の兄で、呉の孫権(仲謀)に仕えた人物は次のうちどれか。次の選択肢からひとつ選んでください。
(A)諸葛玄
(B)諸葛瑾
(C)諸葛均
(D)諸葛誕
問3 劉備(玄徳)は自己紹介で自分は○○の末裔であるとうたっています。次の選択肢のうち、○○に当てはまる人物を選びなさい。
(A)前漢高祖劉邦
(B)後漢光武帝劉秀
(C)始皇帝嬴政
(D)中山靖王劉勝
問4 長坂の戦いで単騎で曹軍の陣中にとって返し、劉備(玄徳)世継ぎの阿斗を救出した蜀の武将は次のうちどれか。選択肢のうちからひとつ選んでください。
(A)関羽(雲長)
(B)張飛(翼徳)
(C)趙雲(子龍)
(D)馬超(孟起)
問5 曹操(孟徳)が「我子房」と喜んで幕下に加えた名士は次のうちどれか。選択肢からひとつ選んでください。
(A)荀彧(文若)
(B)許攸(子遠)
(C)荀攸(公達)
(D)孔融(文挙)
人名に関する問題の解答と解説
■ 人名に関する問題の解答と解説
人名に関する問題の解答と解説
問1 正解:A
孫権(仲謀)は周瑜(公瑾)亡きあと、その後継者として好蜀派の魯粛を任命しました。蜀とよい関係を保つためには、軍の指揮官も蜀に対して好感をもつ者でなければいけないと思った結果でした。Bの袁譚は袁紹(本初)の嫡子で袁家の後継者、呂蒙は魯粛の次の大都督、黄蓋は先陣を仰せつかった切り込み隊長です。
問2 正解:B
諸葛亮(孔明)の兄は学問をするため上京中に董卓軍の謀反に巻き込まれて亡命し、孫策(伯符)が存命中に呉に仕官しました。そのほかの選択肢はAが諸葛兄弟の叔父、Cが諸葛亮(孔明)の弟で同じく蜀の功臣、Dが諸葛亮(孔明)の従兄弟で魏の功臣です。
問3 正解:D
劉備(玄徳)は中山靖王劉勝の末裔であると繰り返し話中でアピールしています。しかし、中山靖王劉勝には子息だけで120人を超える人物ですので、想像以上にその末裔の人数は多く、その事実を知らない劉氏もいたでしょう。また、後世の考古学者はこの情報は信憑性が薄く、あり得そうな偉人としてあえて中山靖王劉勝の名を語っていたのであろうと考察を述べています。
問4 正解:C
長坂の戦いでは関羽(雲長)を先陣に据え、最後尾を張飛(翼徳)に任せました。双方大事な役割なので、身動きが取れませんでした。また、馬超(孟起)はこのときまだ蜀に仕官していません。趙雲(子龍)は逃げ遅れた民を救出しながら隊列に組み込んでいた際に、世継ぎの阿斗と劉備(玄徳)の側妻がいないことに気づき、誰にも声をかけずに一目散に曹軍の中に飛び込みました。しかし、趙雲(子龍)が戻ったころには夫人はもう深手を負っており、胸に抱いていた阿斗を趙雲(子龍)に託すと、足手まといになることを恐れて井戸へ投身自殺しました。
問5 正解:A
荀彧(文若)は当初従兄弟の荀攸(公達)を頼って袁紹(本初)に仕官しました。ところが袁紹(本初)の優柔不断さに嫌気がさし、その後曹操(孟徳)のもとへ直々に仕官を申し出ました。曹操(孟徳)はこのとき屋敷の中で執務中だったのですが、知らせを聞いた瞬間に飛び跳ねて喜び、履物も履かずに裸足のまま「我子房来」と叫んで門まで走ったと伝えられています。その他の選択肢は、BがCとともに袁紹(本初)に仕え、裏切った者。Cが先述のとおり。Dが孔子20代の末裔で、曹操(孟徳)から疎んじられて処刑された名士です。
事件に関する問題
■ 事件に関する問題
事件に関する問題
問1 朝廷の行う政治に不満が募った庶民たちは張角が教祖となった宗教にすがり信仰しました。
その宗教名を次の選択肢の中からひとつ選んでください。
(A)五斗米道
(B)太平道
(C)太平教
(D)儒教
問2 献帝を擁立して反乱を起こした董卓は首都洛陽を焼き払って遷都しました。その遷都先の地名を次の選択肢からひとつ選んでください。
(A)朝歌
(B)成都
(C)北京
(D)長安
問3 劉備(玄徳)が諸葛亮(孔明)を迎える前、軍師に徐庶を迎えました。ところが、曹操(孟徳)の策略により急遽徐庶は劉備(玄徳)のもとを去ります。その策略とは何か。次の選択肢からひとつ選んでください。
(A)役職と多額の俸禄が約束された
(B)徐庶の母親を人質にとった
(C)徐庶の妻子を人質にとった
(D)徐庶の母親の営む飲食店の経営が傾いた
問4 孫堅(文台)が劉表の部下によって殺害されたとき、呉軍の士気は完全に失墜し戦う余力もありませんでした。それを打破するべく戦場で呉の君主となった孫策(伯符)は英断をするのですが、それは次の選択肢のうちどれか。ひとつ選んでください。
(A)孫権(仲謀)使者として和睦調停の条約を結んだ
(B)劉表に降伏した
(C)仇討ちを果たして帰国した
(D)捕虜を解放し、人質と賠償金を支払って和睦した
問5 宦官による汚濁政治をやめさせるため、大将軍何進は宦官のトップを暗殺する企てをします。ところがその計画は事前に漏れてしまい、何進は逆に暗殺されてしまいました。その仇討ちのため司隷校尉袁紹(本初)が朝廷に踏み込んだ時に部下に出した指令は次のうちどれか。ひとつ選んでください。
(A)「髭が生えていない者はすべて斬れ!!」
(B)「皆殺しだ!!」
(C)「宦官のみを捕らえ、そのほかは手を下すな!!」
(D)「天子を連れてこい!!」
事件に関する問題の解答と解説
■ 事件に関する問題の解答と解説
事件に関する問題の解答と解説
問1 正解:B
Aは太平道より数年前に起こった于吉を教祖とする宗教。Cは架空の宗教。Dは孔子を教祖として漢が国教化した宗教です。
問2 正解:D
董卓は洛陽の次に経済的に豊かな都市である長安に都を遷都しました。Aは殷王朝時代の首都。Bは秦の始皇帝が定めた秦の首都。Cは中国の現在の首都。
問3 正解:B
曹操(孟徳)は徐庶が親孝行者という評判を聞き、徐庶の母親を丁重にもてなして寝食の世話をしました。曹操(孟徳)からの贈り物に対するお礼のために徐庶の母が書いた手紙の筆跡を真似て徐庶に送り付け信じさせることに成功しました。その他の選択肢はすべて架空のものです。
問4 正解:A
和睦するためにはそれ相応の身分の者がいかなければならず、殺害される危険性もありました。君主を失い、士気が意気消沈するなかさらに有能な将を敵陣に送り込むことは避けるべきでした。意外にも和睦調停のための使者に名乗りを上げたのは当時8歳の孫権(仲謀)でした。孫権(仲謀)は自分が孫堅(文台)の次男であり、現呉主の弟ということで身分の担保と戦力にならないことを理由にしました。また、「殺害される恐れがある」と兄が止めたときには、「劉表が子供を殺せば周りに示しがつかないだろう」と言って家臣と兄を納得させました。
劉表は少年の身ながら劉表のもとへ行き劉表が父親を殺したのは上からの命令に従っただけで、劉表に非がないこと。和睦を締結したら報復しないという条件を提示しました。劉表も孫権(仲謀)の聡明さに心を打たれ、報復の約束のみで賠償金や人質は求めずに和睦を締結して丁重に孫権(仲謀)を送り帰しました。
問5 正解:A
司隷校尉だった袁紹(本初)は過激にも宮中に突撃し、Aの指示をしたのみで暴れ回りました。そして、ことの発端となる企てをした宦官たちを一掃したのです。
しかし、このあいまいな指示のために宦官から衣服の交換を強制された宮女や少年の侍従など巻き込まれた被害者は相当いたそうです。
まとめ
■ まとめ
まとめ
さて、記事中の10問のうちあなたは何問正解できましたか?
解説を読んでみて「そんなことあったかな?」と疑問に思った方はもう一度漫画やドラマ、小説を見返してみてください。いわゆる復習することによって三国志のストーリーの理解はどんどん深まります。三国志検定3級合格を目指している方は頑張ってください。