強くなれる食べ物ってある?三国志の時代の食事背景

強くなれる食べ物ってある?三国志の時代の食事背景

日々鍛錬を積む鍛えている武将も多いであろう三国志の世界ですが、当然その食事にも何か特徴はあるはずです。強くなれる食べ物はあるかわかりませんが、強くなるための食事のヒントはきっとそこに隠されているだろう。ということで、今回は三国志の時代の食事について紹介していこうと思います。


三国志の時代の主食

日本人の主食と言えば、米ですが、麺やパンなど炭水化物を含んだ主食は現代では様々です。
三国志の時代には、何が食べられていたのか気になったので調べてみました。

三国志の時代には主には米が食べられていました。コーエーの某人気ゲームのアイテムにおにぎりか
何かがあったので何となくはそうなのかなとは思っていましたが、いつの時代も米を食べる風習は変わらないようです。ただ、この時代は今のように米を炊くのではなく、米を蒸して食べていたようです。

当然っちゃ当然ですが、今は炊飯器がありますが昔は無いので、蒸して食べるのが主流だったと思われます。また、南北で主食として食べられていたものに違いがあるだとかも言われています。南に住む人たちは当然お米を食べているのですが、北にすむ人たちは小麦粉を使用した食べ物が主だったようです。

もしかすると中華まんだとかはこの時代の
小麦粉を使用して食べるという文化によって生まれたのかもしれませんね。

ちなみに北の人々がどのように小麦粉を調理して食べていたかについてですが、小麦粉を練って
形を整えて焼いて食べていたと言われているので、想像できるものはパンやもしかするとナンに近いかもしれません。小麦粉の他にも栗が主食で食べられていたとの情報もあるので栗と小麦粉を使った何かかもですね。

曹操孟徳は北に住んでいるのでパン派、劉備玄徳や孫権仲謀は南に住んでいるので米を主にしていたと考えるとなぜか、パン派の人は曹操孟徳に、ご飯派の人は劉備玄徳や孫権仲謀に親近感が湧いてしまいますよね。

ただどうしてもパンってお腹がいっぱいにならないイメージがあるので、日々戦いに臨む北の兵士たちは空腹だったんじゃないかなんて妄想をついついしてしまいます。前述にもあるように栗も主食で食べられていたのでもしかすると栗がパワーの源なのかもしれませんね。

三国志の時代のおかず

三国志の時代のおかずについては詳しい資料などが無いので献立はわかりませんが、野菜に関しては漬物が主だったとみられています。基本的には野菜を酢漬けにしたものが主であったと言われています。その理由は定かではありませんが、やはり漬物は保存が利くので好まれて食べられていたと考えられます。

肉や魚についてですが、魚は焼いて食べられているというのが主流ですが肉もまた同じでしょう。肉に関しては牛や豚、羊や鳥などといった現代でも食べられているものが主に食べられていました。調理方法は普通に焼くか燻製にしてというのがあったそうです。燻製は長期保存が利きますので野菜同様保存が利くことを重視されていたんですね。

肉は他にも馬や犬なども食べられていたそうです。馬は現代でも馬刺しなどもあるので何となく想像できますが、犬というのは食べられるのか不思議です。肉食の動物の肉は臭みがあって食べられないと良く聞くので想像のできない未知の世界ですね。もしかすると犬の肉を食べることが強さの秘訣だなんてことはないと思いたいです。

ちなみに魚ですが、焼いて食べるのは当たり前ですが、現代のように刺身にしても食べられていたそうです。そう考えると三国時代の武将の食事って現代の人とそう変わらないのではないかと感じます。

三国志時代のデザート

皆さんはデザートというと何を思い浮かべますか?現代ではリンゴやブドウ、高級なものですとメロンなどがあります、プリンやヨーグルトケーキなどもありますよね。実は三国志の時代にもデザートを食べる風習がありました。

三国志の時代には食後にデザートとして桃や琵琶、ナシやアンズや梅といった果実がデザートとして食卓に並んでいました。ただ甘いものをとるということだけでなく、毒消しや口直しといった意味合いがこうした風習にあったのではないかと思われます。

果実は喉の渇きなども潤してくれたり、やはり甘さによってストレス解消などの癒し効果で疲れが取れたりとするので好んで食べられていたのではないでしょうか?いつの時代も食文化の基本というものは変わりないんだと改めて実感しましたね。

三国志の時代の飲み物

食卓には必ずと言っていいほど飲み物は欠かせません。緑茶や麦茶、紅茶やミルクなどを初めとして現代では多くの飲み物が好まれて食卓に並んでいます。そこで疑問なのは三国志の時代には一体どんな飲み物が飲まれていたかということです。ここでは飲み物を紹介します。

周の時代から好んで飲まれていたものに「漿(こんず)」があります。漿(こんず)は現代で言えば、重湯のことを指します。特徴は水の中にドロドロになった米粒が入っているということです。周の時代では人気のあった飲み物で他に飲食店などが存在しなかったのにも関わらず漿を売る店だけは街中にありました。

中国と言えばお茶というイメージですが、お茶の無かった時代に代わりとなっていたのが漿(こうず)だったようです。漿(こうず)は食後に口の中をさっぱりさせて清潔に保つ名目でうがいにも当時利用されていました。

礼記「曲礼」という当時のマナーブックには公的な席では漿(こうず)でうがいをし、私的な宴会では酒でうがいをするという記述があります。飲み物というよりは口の中をゆすぐというイメージなので水やお茶に本当に近い存在だったのかもしれません。

また、この時代には醴(らい)という甘い飲み物もありました。黍(きび)を粥にして麹を加えて醸造し、数日で出来上がるために甘酒に近いイメージの飲み物で疲れている時などの疲労回復に効果があったそうです。食事の中では当時甘味は貴重であったので重宝されたようですね。

夏場には暑さに対処するために涼という飲み物が存在していました。涼というのはいわゆる氷水です。これらは保存剤としても当時から使われており、現代でも脈々とそうした文化は受け継がれているので当時から人の考えというのはそうそう変わらないんだとわかりますよね。

秦の時代には金持ちや王族は専用の氷室(ひむろ)を地下に所有していた事が遺跡から確認されており、冬の間に蓄えた氷を夏場に取りだして飲んでいたという事実も残っています。暑い日にはこうしたものが必要であると考えるあたりに親近感が湧いてしまいます。

他には、梅サワーのような「医」や醴(らい)をさらに濃くした「酏(い)」なども存在しました。これだけ飲み物にバリエーションがあるというのも驚きですよね。毎日口にするものだからこそ飽きさせないために種類を増やすのは当時からあった工夫と言えるでしょう。

まとめ

今回は三国志の時代の食事背景について解説してきましたがいかがだったでしょうか?食事は現代と比べて少しは変わっているものの根本的な考え方などは現代と大きく変わっていないということがわかりました。

食事や食べ物のルーツを辿っていくと自然と最も基本の形になっていくんだろうという想像がこうしてみると容易にできてしまいますよね。武将の強さとの因果関係はまったくもって今回わかりませんでしたが、しっかり食事をとり、しっかり睡眠をとり、しっかり鍛錬をするという基本が強い武将になるための最低条件なのではないでしょうか?皆さんも強くなれるように頑張ってください。

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