怪談の正式な記録
■ 怪談の正式な記録
怪談の正式な記録
日本で妖怪や亡霊、神話の類の正式な記録が残されたのは700年代に編案された「古事記」からですが、中国ではさらに古く史記や正史三国志に「方術伝・呪詛伝」など呪いや亡霊、奇奇怪怪な能力をもった人物の記録があります。
そして三国志の時代が幕を下ろしてから一世紀も経たず、中国で怪談のみを収集した書物が登場しました。その書物の名は「捜神記」。この「捜神記」から怪談を拝借してみなさんに三国志時代の怪談をお届けします。
点鬼簿(閻魔帳)
■ 点鬼簿(閻魔帳)
点鬼簿(閻魔帳)
息子の死相
■ 息子の死相
息子の死相
管輅(かんろ)という方士が道を歩いていたときのことです。顔超(がんちょう)という少年に会って腰を抜かしました。
なんと顔超の顔にありありと若死にの相が現れていたのです。管輅はそのことを顔超の父親に話しました。
それを聞いた父親は顔を青ざめ、必死になって息子の延命を請い願いました。
管輅 「家に戻って、清酒一瓶、鹿の干し肉一斤を用意し、卯の日に麦を刈り取った場所から南の方
向に行きなさい。桑の大樹の下で、二人が囲碁に興じているから、酒と肉をどんどん勧め、
飲みつくしたらさらに酒を汲んで差し上げなさい。すべて飲んでしまったら、それがちょう
どころあいです。相手がもし、あなたに気付いたのなら、ただただお辞儀をしていなさい。
ただし、その2人に決して口をきいてはなりませんよ。そうしたら、きっとあなたの息子さ
んを救ってくださるはずです」
教えに従って…
■ 教えに従って…
教えに従って…
顔超の父親は管輅のいう通りに南へ歩を進めると果たして2人の老人が碁を打っていました。干し肉を置き、酒を汲んで勧めると2人はたいへん楽しそうに夢中で碁を打ち、飲み食いして何度も何度も杯を酌み交わしました。すると北側に座っている老人が顔超の父親に向かって口を開きました。
北側の老人 「ところで、お前はどうしてここにいるんだ?」
顔超の父親の父親は管輅に教えられたとおり、ペコペコと頭を下げるばかりです。すると、南側に座っている老人が北側の老人とは真逆の態度で陽気に笑いながら北側の老人へ話しました。
南側の老人 「なあに、たまたま彼の酒や肉をご馳走になっただけだよ。あんまりつんけんしなさ
んな」
北側の老人は「点鬼簿」と書かれている竹簡を手にとると、顔をしかめてこう言いました。
北側の老人 「『点鬼簿』では確定しているぞ」
すると南側の老人がその竹簡を取り上げて、「顔超 天寿 十九歳」と書かれている行に、朱筆で「レ点」を書き加えながら、顔超の父親に向かってこう言いました。
南側の老人 「九十歳まで生きられるようにしたよ」
顔超の父親は二人に深々と拝礼して帰宅しました。そしてさきほどの体験を急いで管輅に報告しました。
北斗星と南斗星
■ 北斗星と南斗星
北斗星と南斗星
管輅 「運がいい人だ。顔超の寿命が延びて実にめでたい。北側に座っていた方が北斗星で、南側
に座っていた方が南斗星だ。南斗星は生を司り、北斗星は死を司るのだ。そもそも人がこ
の世に生を受けるには、北斗なり南斗なりにお頼みするものなのだ。お願いごとはすべて
北斗か南斗にするもんだよ」
東海の老婦
■ 東海の老婦
東海の老婦
嫁の孝行
■ 嫁の孝行
嫁の孝行
漢の時代、のちの呉の領土になる地区に姑に慎み深く仕え、孝行を尽くしていた婦人がいました。それなのに、姑は嫁の孝行にどこか重みを感じていたらしく、このように嘆きました。
姑 「嫁が私に孝養を尽くして彼女に苦労をかけているが、老い先短い余生にはひとつも未練は
ない」
姑はそう言葉を残して、なんと自殺してしまいました。
冤罪
■ 冤罪
冤罪
すると姑の娘、つまり婦人の義理の妹が、お役所に冤罪を申し立てました。その罪とは「嫁が、自分の
母親を殺害した」という内容です。役所ではすぐに婦人を逮捕し、拷問にかけて責め立てました。婦人は痛みに耐えかねて偽りの白状をしました。
于公という人が「この人は、十余年にわたって姑に孝養を尽くし、評判の高い方である。絶対に殺してはいけない」と
異議申し立てを行いましたが、太守は断固として聞きいれようとしません。于公は言い争いをしましたが、ついに説得することができず、大声をあげて悲しみ嘆き、役所を去っていきました。
その後、東海の地域は大旱魃に見舞われ、三年間雨が降りません。
新太守の赴任
■ 新太守の赴任
新太守の赴任
新任の太守が赴任してきたので、于公は早速、前任の太守の非道な判決について直談判しました。
于公 「前任の太守が無実の罪で老婦を処刑しました。咎は役所にあります」
新太守はその申し立てを認め、老婦の塚を祭り、その墓の前で供養をしました。すると、天はたちどころに雨を降らし、その年は大豊作となりました。
惨劇は語り継がれる
■ 惨劇は語り継がれる
惨劇は語り継がれる
土地の長老がこの老婦の無念の死と処刑場での怪奇現象を語り継ぎました。
その言伝えでは、「老婦の名は周青青(しゅう せいせい)といい、処刑されようとしたとき、十丈もある竹竿に、五本の幟を付けさせ、刑場に来た人々に誓いをたてて逝ったのです。『私がもしも罪を犯していたのなら、私の血は幟の竹竿を上から下へと流れ落ちるだろう。私がもしも無実なら、血は逆流するぞ』と形相凄まじく申し立て、
それを聞いた者は身の毛もよだつ思いをしたそうです。刑が執行されると婦人の血は青く、黄色へと変色し、竹竿を伝って上っていき、竹竿のてっぺんから幟を血で染めてポタポタと落ちてきた」ということです。
始皇帝の恐ろしさ(毛むくじゃらの秦の巨人)
■ 始皇帝の恐ろしさ(毛むくじゃらの秦の巨人)
始皇帝の恐ろしさ(毛むくじゃらの秦の巨人)
湖広の房県に房山(ぼうざん)という山があります。高く険しく遠く奥深く、四方八方に宝のように石洞が並んでいます。
そこに身長一丈以上もある巨人で、身体中に毛が生えていて、ちょくちょく山を出ては、里人が養っている鶏や犬を手当たり次第食べて、これを拒むと必ず人間をさらっていったり、ぶん殴ったりしました。
矢を射てもすべて跳ね返し、傷つけることもできません。しかし、この怪物を脅す方法が伝わっていました。それは手拍子をとって「長城を築け、長城を築け」と叫ぶことです。こうするとその巨人はあわてて逃げるとのことです。
先祖代々房県の人々と親しくしている張啓君(ちょうけいくん)が、以前この土地の役人として赴任してきた折に、この多毛巨人に試してみると、本当に巨人は慌てて逃げて行ったそうです。
土地の人に聞いてみると、「秦の時代、始皇帝の命令で万里の長城を建設するときに、人々は徴発を恐れて、山奥に難を避けて逃げてきたのです。そして歳月が流れていくうちに、人々の怨念が多毛巨人の妖怪となってしまった」ということです。
この妖怪は、人を見るとすぐに長城が完成したのかどうかを聞くのです。なのでその逆手をとり、
妖怪の一番おそれていることを言って威嚇するのだそうです。
人々の恐怖心を妖怪に変えてしまうほど、始皇帝は恐ろしい皇帝だったのです。
まとめ
■ まとめ
まとめ
いかがでしたか。日本の怪談にも今回紹介したような話があります。たとえば一番初めのエピソードは閻魔大王が死人の名前と寿命を管理している「閻魔帳」。最後のエピソードは「だいだらぼっち」という妖怪。人々の恐怖心を妖怪に替えてしまうほど、恐ろしかった始皇帝はさすが一代で6つの国を滅ぼしただけのことはあります。中国史上では偉大な王様ですが、私が国民であったら間違いなく失踪していると思います。
「東海の老婦」のお話は孫権や孫策が治めていた江東に該当するため、もしかしたらこの怪談を知っていたのかもしれません。