三国志の怪談~弐の巻~

三国志の怪談~弐の巻~

三国志演義のなかでも、関羽の亡霊が登場したり五斗米道の教祖于吉が孫策を祟って死に至らしめたりと世にも奇妙な怪談が出てきます。三国志では取り上げられていなかったものの、同時期に起きた心霊現象は多く存在します。


三国志演義には採用されなかった多くの怪談

三国志演義には採用されなかった多くの怪談

三国志演義には採用されなかった多くの怪談

関羽の亡霊が夜な夜な「首を返せ―」と言って市中を徘徊していたのは有名な怪談です。そのほか、五斗米道の教祖于吉が孫策を呪い殺したり左慈という仙人が妖術で曹操を惑わしたりと三国志演義中にも数々の怪談が乗せられています。

しかし、本記事では三国志では取り上げられなかったものの、同時期に起きていた怪談をご紹介したいと思います。

亀の血涙

亀の血涙

亀の血涙

古の巣(そう)を流れる長江の水が、急に満ち溢れましたが、一日だけで元通りになったことがありました。 その折、重さ一万斤もあるような大魚が、波打ち際に打ち上げられて、三日で死んでしまいましたので、郡中の人々が、その大魚をわれ先にと食べたのです。ただ老女一人だけが食べませんでした。

その老女のところへ、老翁が訪ねてきました。
「あの大魚は、私の子供であった。不孝にもこの禍にかかったが、あなただけが食べなかった。わたしはあなたに手厚く恩返しをしよう。街の東門の石でつくった亀の目がもし赤くなったならば、この街は、当然陥没するはずだ。亀の目に注意していなさい」
それから老女は毎日亀の目を見に行きました。

さて、ある子供が、老女が毎日欠かさずに亀の目を見に来るのを不思議に思って、わけを尋ねました。老女は正直に子供に事実を明かしました。子供はふざけ心をおこして、老女を威してやれと、そっと亀の目に朱を塗ったのです。それを見た老女はびっくり。早速城市を逃げ出しました。そこへ青衣の童子が現れて「我は竜の子である」と名乗って、老女を山へと案内してくれました。その時城市は陥没して、一面湖となっていました。

蟻の恩返し

蟻の恩返し

蟻の恩返し

呉の富陽県の董昭之(とうしょうし)が、銭塘江(せんとうこう)を船で渡ったときのことです。
江の流れの中央に、短い芦の上に一匹の蟻が乗っていて、一方の端からもう一方の端に、あわてふためいて行ったり来たりしていました。

昭之は「これは死を怖がっているな」と考えて、船の中に拾いあげようとしました。すると船中の人が昭之を罵って「この虫は毒虫だ、いかしておいてはいかん、おれが踏み殺してやる」。昭之は蟻を憐み、芦を縄に繋いで、船に繋ぎました。船が岸に着きますと、蟻も陸地に無事あがりました。

その夜、夢に黒い着物を着た人が、百人ばかりの従者を供にして、感謝しながら「わたしは蟻の中の王です。不注意から江に落ちて、あなたに救っていただいた。もしも今後、切迫した難儀がおこったら、お告げください」といって去っていった。

それから十余年たって、その土地に強盗が押し寄せ、昭之は無実の罪で捕らえられて、盗賊の頭目にされ、余杭県の獄に繋がれました。ふと昭之は、十余年前の蟻の王が、「切迫した事情がおきたら、私に告げなさい」と述べたことを思いだしたのです。どうやって報告するか、悩んでいるとき、獄中に監禁されている者が、彼の悩みごとについて尋ねましたので、ありのまま話しました。
その人が、「二、三匹の蟻を手のひらに置いて話せばいいよ」
昭之が言うとおりにすると、果たして夢の中に黒い衣を着たものが「大至急、余杭山中にお逃げなさい、天下はもう乱れてしまって、大赦令が発布されるのも、そう久しいことではありません」

昭之が眠りから覚めると、蟻の仲間たちが足枷、手枷をもう噛み切っていました。
そうして、獄屋を抜け出すことができて、江を渡って余杭山中へ脱出することができました。そののち、赦免令が発布されて、昭之は追われることがなくなりました。

三黒衣の妖怪

三黒衣の妖怪

三黒衣の妖怪

『三国志』の時代のことです。呉の臨海県の者が山中に入って、小屋を根城に猟をしておりました。

真夜中のことです。当然身の丈一丈ほどもある黄色の着物に真っ白な帯をした人が、さっと入ってきて、猟師に「私には仇がいまして、明日戦うことに決めました。あなたに助けてもらえたら、手厚く恩返しをいたします。どうでしょうか。」
猟師が「必ず手助けしてあげましょう。謝礼なんか必要ありません。とんでもないことです」
すると黄衣白帯のその人は「明日朝食のころ、谷川のそばに来てください。敵は北の方から襲って来ます。私は南から迎え撃ちます。白帯が私、黄色の帯が敵です。」猟師は承知しました。

さて、明朝出かけますと、思った通り、岸辺の北の方から声を耳にしました。その形は、風や風のかたまりのようで、草木は四方に吹きちぎれるようになびき動いています。南を見つめると、これまた同様です。ただそこには、なんと長さ十余丈もある、二匹の大蛇が、谷川の中でぶつかり合い絡み合って、火を吐くようなすさまじい争いです。白蛇の方が、負けそうです。猟師は大弓を引き絞って、黄蛇を射て即死させました。

日が暮れようとするころ、昨夜の人がきました。たいへん感謝して「ここに留まり、根拠地として、存分に猟をなさって翌年立ち退くことです。決して二度と来てはなりませんぞ。もし万が一、再びやってきたならば、必ず禍がおこります。絶対にきてはいけません」
猟師は「承知しました」と答え、一年間この地に留まったまま猟をしたところ、膨大な獲物を得て巨富をものにしました。

数年経って、彼は財産をなくしてしまい、再び巨富を得たいと、過去の約束のことなど忘れてしまって、再びやってきて猟を始めました。すると数年前の白帯の人物が突然現れて、
「君、約束がちがうぞ。私は君に『二度とここに来てはいけない』と告げたのに、私の忠告は聞きいれられなかった。私の仇の子がもう巨大となって、君に必ず仕返しをするだろう。これは私の知ったことではない」と言い放ったのです。
猟師はこれを聞いて、背筋が寒くなり、一目散に逃げようとしましたが。しかし、とき既に遅く、そこには、身の丈八尺もある黒衣の三人がいっしょに口を張り裂けるようにおおきく開いて、猟師に肉迫してきて、あっという間もなく殺されてしまいました。

黄泥溝(こうでいこう)の怪

黄泥溝(こうでいこう)の怪

黄泥溝(こうでいこう)の怪

張鴻業(ちょうこうぎょう)は、南京秦淮河の河辺にある藩の某の家に仮住まいをしていました。夏の夜、それも真夜中、厠にいき、外を眺めますと人影もとっくに絶えて、月光が大きく輝いています。張はてすりにもたれて、うっとりと月を見ていますと、人間の頭が水に浮かんだのです。

こんな夜中に、泳ぐものはいるはずはないし、じっと目を凝らしてみました。すると、目も鼻もないのっぺらぼうで、真っ黒い人間が立っています。木彫りの人形見たいに、頸は動かすことができないようです。石を拾って投げますと水に沈んでいきました。

翌朝、男のでき死体が上がりました。これこそ「水鬼」という妖怪でした。張はこのことを、同宿の人に告げますと、米売りの商人がいて、水鬼が人間の命を求めるという世にも奇妙な事件を語ってくれました。

「私が若いころ、嘉興方面に米を売りに出かけて、黄泥溝を通ましたが、泥がたいへん深いので、水牛に乗って通ろうとすると、道半ば、なんと突然泥の中から私の足をぐっとつかんで、泥の中へ引きずり込もうとする者がいました。

私が足を縮めますと、その黒い手は水牛の脚をつかまえ、泥中に引きずりこもうとします。水牛も足を踏ん張って、動くことができないのです。私は驚き、大声をあげて、助けを求めますと道行く人が牛を連れてきて、水牛を引き上げようとしますが、びくともしません。そのうち、私ののった牛は、ジリジリと泥にハマっていくのです。

万策尽きた私は、ハッとひらめきまして、水牛の尾に火を着けたのです。水牛は火の痛みに耐えかねて、満心の力を振り絞って、泥中から足を抜いて、立ち上がったのです。すると腹の下に、やぶれほうきのようなものが、しっかりと水草のようにまとわりついて解けないのです。
あたり一面生臭いにおいがただよって、気持ちが悪くなって近よれません。杖でうちますと、鬼の泣く悲惨な声がして、黒い血がしたたり落ちます。人々は刃物で、ズタズタに切りきざみ、柴と一緒に燃やしたのです。

生臭いにおいは、一月経てやっと消え失せました。
以来、二度と恐怖の黄泥溝の水中に引き込まれることはなくなったということです」。

まとめ

まとめ

まとめ

いかがでしたでしょうか。猛暑を吹き飛ばせるくらい背筋の凍りつくエピソードはありましたか?
まだまだ序の口ですので、次回もぜひご覧ください。





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