千差万別な三国志の楽しみ方の実例

千差万別な三国志の楽しみ方の実例

三国志は私たちに楽しさを与えてくれます。三国志の楽しみ方は人それぞれ、それこそ千差万別の楽しみ方がありますので、三国志ファンの方々がどのようにして三国志を楽しんでいるのかその実例を本記事のテーマとします。


いろいろな媒体で広まる三国志

三国志はもともと小説や演劇、講談などの形で世に広く知られるようになりました。その影響力たるや中国から朝鮮、日本へと広がり江戸時代末期にはすでにミャンマーやベトナムなどにまで波紋が広がりました。そして現在では漫画といった紙媒体のメディア以外にも映画やアニメなどの映像メディア、ひいてはゲームやフィギアといったホビーの観点から全世界へと広がりました。アメリカ人やフランス人であっても「Ryubi」、「Soso」とその名の音を口にすれば伝わるそうです。

小説で三国志を楽しむ

三国志の純粋な楽しみ方は小説を読みながら、あの人はこんな姿、この人はこんな声、この戦闘シーンでは誰が誰を云々というように自分の思う人物像や今まで体験したなかで思い出される場面の描写を想像することだと言えます。小説を読むことは活字をひたすら読むという労力が必ず発生しますが、漫画や映画とは異なり、自分なりの三国志のストーリーを脳内で映像化できることが醍醐味です。
日本において三国志が少年少女までが好んで読むようになったのは、戦時中新聞記者として働く吉川英二が記者として働く傍ら、新聞に載せるコラムとして三国志演義の連載を開始してからです。それ以前にも三国志は日本に伝わっていたのですが、戦国時代までは武士のバイブル。江戸~明治にかけては大人の娯楽としての性格が強いものでした。それが、明治時代になると義務教育の制度ができ日本国民は少年少女でさえ読み書きができるようになります。しかし、戦時中まで三国志は分厚い本でしか存在していなかったので、飽きやすい子供たちは読みはじめても途中で挫折してしまうことのほうが多かったのです。吉川英二が三国志をコラムとしたのは画期的な取り組みでした。本という形でしか存在していなかった三国志を毎日少しずつ発信することによって、少年少女は父親が読み終えた新聞を読み、ちょうどよいところで話が終わるので「次はまだか」という欲求をくすぐります。それを毎日飽きることなく読み続けるうちに気が付いたらそれまで出版されていた本を容易に読破できる文章量となっていたのです。

漫画で三国志を楽しむ

横山光輝が吉川英二の書いた三国志演義を漫画としてから現在でも「覇-LORD-」や「龍狼伝」、「三国志ブレイブ」などの作品で人々に漫画として触れられています。横山光輝が描いた「三国志」は吉川英二の三国志をほとんどそのまま漫画にしたもので、小説を読むのに苦手な人々から評判を得ました。みんなが三国志を読みたいと思っていてもなかなか手が出せなかったことを考慮した戦略的な連載であったとも言えるでしょう。また、漫画のよいところはお話を作るプロである漫画家が絵とキャラクターに話させることで自分たちの想像を助けてくれるところにあります。また、作者によって独自のストーリーや自分では到底想像することのできない面白い展開をおりまぜて、本来の三国志とはまた違った趣向の楽しみがあります。

ゲームとして楽しむ三国志

ファミリーコンピューターが発売されてから、ゲームは特に情報技術やプログラミングの心得がなくても大衆的に楽しまれるものへとなりました。ゲームの良さはリアル(現実)では体験することができないことを疑似的に体験することができることです。例えば、現実では下半身不随で歩くことも困難な方はゲームの世界では走ることも跳ぶこともできるし、憧れる歴史上の人物と会話できるのもゲームの中だけです。コーエーテクモゲームスが発売した「三国志」はゲームの抜本的な意識改革を成し遂げたゲームとして有名です。ゲームが楽しいと感じられる要素はビジュアル、操作性、ストーリー性、達成感、シミュレーション性など多々あります。
子供たちから絶大な人気を集めたスーパーマリオは専ら操作の複雑さやリズム感などが受けました。しかし、大人たちからは操作が難しいということであまり遊ばれることがありませんでした。そんな中、ほとんど選択の操作しかしない「三国志」は大人たちから操作しやすいと話題となり、一国の主となって国づくりや戦争、施設の設置などをシミュレーションできるとあって大人たちから人気を集めました。また、2000年に発売されて以降、人気シリーズとなっている三国無双はもはや世界規模のゲームとなり、オンラインで世界中の人々と対戦しながらチャットやイベントへの参加もできるとあって多くの人々から支持されています。

旅行で楽しむ三国志

三国志ファンの中には日本から中国へ渡り、約1800年前の三国志の登場人物の眠る墓やかつて戦争のあった場所、登場人物が居住していたとされる場所などを巡ることを生きがいとしている方もいます。特に関帝廟や赤壁古戦場跡は地元の観光名所として中国が力を入れており、テーマパーク化されている例もあります。彼らが亡くなって約1800年経ちますが、彼らの偉業を讃えて慰霊碑や銅像が建てられた利、彼らにちなんだ施設、風景存の観点から当時の姿を留める名所も存在します。

ビジュアルで楽しむ三国志

甲冑を着て戦場を駆け巡る三国志の登場人物の姿や武器を手に取り戦闘シーンを繰り広げる姿は誰もが簡単に想像することができるでしょう。三国志は武士の教科書となり、三国志に登場する武将は武士が目指す人物像と言っても過言ではありません。かつて、江戸時代には武者絵といって三国志の武将を描いた絵画が人気を博し、現在ではイラストやフィギアなどでもそれらを楽しまれています。
残念ながらイラストを描いたりフィギアを制作できる方は限られますが、それらができるのなら自分の想像する三国志の登場人物の姿を描いたり模ることができます。絵を描いたりフィギアを制作することの行為自体が好きであり、なおかつ三国志が好きなのであれば何時間でもその作業に没頭できることでしょう。
残念ながら上記の作業をできる人々は限られますが、こらからその技術を身に着けようと訓練すれば将来的にその楽しみ方を実現できるはずです。

まとめ

今回はさまざまな三国志の楽しみ方の実例を書き綴りました。もちろん本記事で上げた以外にもおそらく別の方法で三国志を楽しんでいる方も少なからずいるでしょう。
もし、あなたが今三国志の楽しみ方を模索中なのであれば、本記事で紹介したいずれかの方法をぜひ試してみてください。それがキッカケで趣味となり、生きがいとなるのならその間に費やした費用や労力もあなたのスキルを向上させる糧となるでしょう。

関連するキーワード


三国志 三国志演義

関連する投稿


三国志が日本に伝えられたのはいつ?どのようにして入ったのだろうか?

三国志が日本に伝えられたのはいつ?どのようにして入ったのだろうか?

三国志の舞台である中国と日本は古くから交流がありましたが、三国志がいつ、どのようにして日本に伝えられたのかは日本史、世界史の授業では誰も教えてくれません。それでは三国志がいつ、どのようにして日本に伝らたのかを解説していきます。


今さら聞けない三国志の疑問「どんな時代の話?なぜこんなにも面白い?」

今さら聞けない三国志の疑問「どんな時代の話?なぜこんなにも面白い?」

三国志の小説やドラマなどをひと通り見てきたけれど、話の内容はだいたい理解できているが時代背景や物語の進み方が蜀目線で進められていることに疑問がある方はどれくらいいるでしょう? 本記事ではそのような今さら聞けない三国志の疑問についてご説明いたします。


三国志演義に見る蜀将の活躍、逸話はフィクションが多い!?

三国志演義に見る蜀将の活躍、逸話はフィクションが多い!?

三国志演義は劉備(玄徳)や諸葛亮(孔明)といった蜀の武将、官吏を贔屓した描写が多いです。実際その場ではなにもしていないのにさも獅子奮迅の活躍をしていたことになっていたり、神様のように描かれることもしばしばあります。それでは三国志演義にある蜀将にまるわるフィクションをお届けしましょう。


知られざる三国志のマイナーエピソード!これが意外と面白い

知られざる三国志のマイナーエピソード!これが意外と面白い

三国志の世界にはあまり表立って語られていないマイナーなエピソードがいくつも存在しています。その中には思わずクスッと笑ってしまいそうなものも隠されているはずということでネット上に落ちているマイナーエピソードや噂などをまとめてみます。


三国時代のスーパードクター華佗元化とはいかなる人物か追及してみた。

三国時代のスーパードクター華佗元化とはいかなる人物か追及してみた。

名医。それは最高の医者におくられる最高の称号でありますが、三国志の時代にも名医と呼ばれる医者がおりました。あまり多くの人には知られてはいませんが、彼の名前は華佗元化と言います。今回はそのスーパードクター華佗元化について紹介したいと思います。


最新の投稿


魏が滅んだ戦犯は曹丕!?魏の初代皇帝はどんな人物だった?

魏が滅んだ戦犯は曹丕!?魏の初代皇帝はどんな人物だった?

曹操の後を継ぎ、魏の初代皇帝となったのが曹丕です。実は、曹丕は魏滅亡の戦犯と言われることが多く人物となっています。そんな曹丕はどんな人物だったのでしょうか。そこで今回は、曹丕がどんな人物であり、なぜ戦犯とまで言われているのかについて紹介していきます。


諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

「曹洪(子廉)将軍は蜀軍を恐れている」と大口を叩いて蜀軍に対峙した張郃(儁乂)が大敗して戻ります。曹洪(子廉)は激怒して張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、他の将軍たちに諫められ、再び張郃(儁乂)にチャンスを与えます。しかし「日の出の勢い」の蜀。再び魏軍を打ち破ったのは老将軍でした。


三国志演義の見どころ 人気武将【劉備・曹操・呂布・趙雲】

三国志演義の見どころ 人気武将【劉備・曹操・呂布・趙雲】

世間的に三国志といえば「三国志演義」が愛されているといえます。一騎討ちや神業ともいえる智謀の数々、妖術など、人間離れした活躍を見せてくれます。もちろん、フィクションの世界ですが、ある意味正史よりも有名である三国志演義について、人気武将である劉備(玄徳)・曹操・呂布・趙雲らの見どころをここで解説していきます。


三国の愚者として扱われている劉禅(公嗣)について

三国の愚者として扱われている劉禅(公嗣)について

「三国志で最も嫌われている人物は?」と聞かれたら董卓(仲穎)が真っ先に上がるのではないでしょうか。高貴な位をいいことに暴政の限りを尽くし最終的には身内である呂布(奉先)に殺されました。もしかしたら曹操(孟徳)や呂布(奉先)を挙げる人もいるかもしれません。しかし彼らは嫌われるようなことをした反面カリスマ性があり「嫌いではない」と答える人も多いでしょう。ここでは嫌われていて且つ救いどころも少ない劉禅(公嗣)について紹介したいと思います。


なぜ曹操は官渡の戦いで大軍相手に勝利することができたのか?

なぜ曹操は官渡の戦いで大軍相手に勝利することができたのか?

三国志という時代の流れを決定づける重要な戦いの1つが官渡の戦いです。この戦いで、曹操が袁紹に勝利したことで、曹操勢力の拡大につながっています。官渡の戦いでは、曹操軍は袁紹の大軍を相手に勝利を収めたわけですが、注目すべきはなぜ曹操が勝てたのかです。そこで今回は、官渡の戦いで大軍相手に曹操が勝利できた理由にスポットライトを当てていきます。