三国武将の姓(名字)の由来

三国武将の姓(名字)の由来

三国志では姓(名字)を重要視しています。姓(名字)はその人の出自を表すとともに、評価基準のひとつとしても考えられていました。中国の姓(名字)には祖先が住んでいた地名や職業を表す文字が当てられ、戦争時の恩賞としても与えられることがありました。日本の姓(名字)に関する概念は、中国のこれらを真似したものとなっています。


三国志の登場人物と日本人の姓(名字)について

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三国志の登場人物と日本人の姓(名字)について

三国志では姓(名字)を重要視しています。たとえば劉備(玄徳)が自己紹介をするときは
「姓を劉、名を備、字を玄徳と申します」と言えば、周りの人々がざわめきはじめ「劉姓ならば、
あなたは漢室(漢の皇族)のご出身ですか?」という質問が飛び交うほどです。
三国志ではこのように姓(名字)はその人の出自を表すとともに、評価基準のひとつとしても考えられていました。そもそも中国における姓(名字)は祖先の出身地、居住地、国名、祖先の名前、動植物、生まれた順序などを表す文字が当てられました。
そして時として姓(名字)は戦争時の恩賞(武功を立てた人が次男三男であったり庶子であった場合、新しい家門を与え、本家として存続させた)としたり、従属した少数民族に与える場合もありました。
日本人に多いと言われる佐藤さん工藤さんは「藤原氏から左官や大工の職業についた人々を表す姓(名字)」だし、青森の津軽藩を代々治めた津軽家は住んでいた地名を姓(名字)としています。
実は日本の姓(名字)は中国の姓(名字)を真似したものだったのです。本記事では三国志に登場する武将たちの姓(名字)の由来について解説します。

劉氏

劉氏

劉氏

劉氏は漢の皇帝の姓(名字)です。劉備(玄徳)は前漢第八代皇帝である景帝の八男、中山靖王(王侯の称号)劉勝の末裔だと自称しています。劉は現代中国において最も多いと言われる五大姓(劉、王、陳、張、李)のひとつに数えられており、漢系統の王朝(前漢、後漢、蜀漢、漢趙、北漢、南漢、北宋、南宋)の国姓(皇帝の名字)となっています。
劉氏の起源は三皇五帝時代にまでさかのぼります。帝舜(ていしゅん)に禅譲した帝堯(ていぎょう)の嫡流の子孫が周王朝時代に士大夫となって周王に仕えており田畑や領邑を与えられていました。その地名を劉邑といい。赴任してから姓(名字)を劉としたそうです。

曹氏

曹氏

曹氏

曹氏は曹魏の国姓(皇帝の名字)です。曹氏は古代から引き継がれている中国古代姓のひとつで、2系統の起源をもっています。そのひとつは周王朝の開祖武王(姫発)が殷との戦いの後、弟の振鐸(しんたく)を曹(現:河南省)に封じて以来始まり地名の曹を姓(名字)とした曹振鐸の子孫の曹氏。もうひとつは三皇五帝時代の黄帝の子孫で帝舜に仕えた姫晏安(きあんあん)が帝舜から曹(現:河南省)に赴任することを命じられ、地名を姓(名字)として曹晏安と名乗り始めたことによって始まった曹氏があります。曹操(孟徳)の祖父の曹謄は高祖劉邦に仕えた曹参の直系の子孫であり、曹参は後者の曹氏の末裔であると伝えられています。また、曹氏は代々軍や刑務に関する職業に就いたことから法曹(裁判官)や刑曹(処刑執行役員)、工曹(工兵の指揮官)など軍の役職を表す文字としても使われるようになりました。
日本の自衛隊の階級にも曹長、一等~三等陸海空曹という階級があり、これは旧軍の階級である曹長、軍曹などの階級の名残でもあります。

孫氏

孫氏

孫氏

孫氏は孫呉の国姓(皇帝の名字)です。呉を建国した孫権(仲謀)、その兄孫策(伯符)と父の孫堅(文台)は「孫子の兵法」でおなじみ孫子(孫武か孫嬪)の末裔であると自称していましたが、孫堅(文台)の父親に関する情報がまったく存在せず、その信憑性はかなり薄いです。孫氏についてもその起源は2通り存在します。「孫」の字は象形文字を組み合わせて作られた文字で、馬を引いている人を象ったものです。馬の飼育や馬の御者を生業とする人々や少数民族が王朝へ服属する際に職業を表す「孫」を姓(名字)として使い始めた孫氏。周の文王が殷の西伯候の任についていた時に、文王の姫昌と同じ姫姓の出身者が孫という地名の土地に赴任し、孫に改姓した孫氏がいます。

張氏

張氏

張氏

張氏は劉氏と並んで中国においては五大姓のひとつに数えられています。張氏は古代中国で弓を発明した張揮(ちょうき)始祖だと伝えられています。また弓を作る職人や弓を扱う武人がみなこぞって張姓に改姓をしたため、張を姓(名字)とする人々が全国的に広まったとされています。

周氏

周氏

周氏

周は殷王朝を滅ぼした武王こと姫発(きはつ)が建国した周という国名が起源です。周の末期になると家臣や弟たちが建国したほかの国々よりも衰えてしまい、中国全土に約180の国々が乱立した春秋戦国時代へと突入しました。国が分裂した後も周王朝の正当性を主張する者たちが集まって引き継いだ周は約180の国々のなかのひとつとして存在し続けました。しかし、戦力は乏しかったようで、春秋戦国時代の中期には他国から侵略を受けて滅ぼされてしまいました。その周の出身の人々が周と名乗り始めたのが周氏です。

李氏

李氏

李氏

李氏は中国の五大姓のひとつで、唐の国姓(皇帝の名字)でもあります。李氏には曹操(孟徳)に仕えた李典や秦の始皇帝に仕え人気漫画キングダムの主人公である李信(りしん)、大唐帝国を建国した李世民(りせいみん)らがいます。李氏は春秋戦国時代に存在した爵位や官職名である「李」を姓として用いたのが始まりです。

諸葛氏

諸葛氏

諸葛氏

諸葛氏はもともと葛氏を名乗っていました。その葛氏から分家した者が諸という領邑に赴任することを命ぜられ移住した際、本家の葛氏と区別するために地名を頭につけて諸葛と改姓したのが始まりと言われています。

于氏

于氏

于氏

于氏は中国神話に登場する炎帝の子孫が始祖だと言われています。三国志に登場する于氏は五斗米道の教祖で知られる于吉という道士や曹操(孟徳)に古くから仕えた于禁がいます。

丁氏

丁氏

丁氏

丁氏は周王朝建国時に文王と武王、成王の親子三代にわたって仕えた周の宰相である太公望(太公望は尊称:本名は呂望や姜子牙とも)の一族から分家した者が名乗り始めた姓(名字)です。三国志に登場する丁氏は孫呉の将軍として孫権(仲謀)に仕えた丁奉や曹操(孟徳)の側室である丁夫人などがいます。

まとめ

まとめ

まとめ

いかがでしたでしょうか。
三国志に登場する武将たちの姓(名字)の由来について解説してきました。ちなみに欧米諸国で名乗られている姓(名字)も祖先の職業や居住地、偉大な祖先の子孫を表す単語が使われています。たとえば、カーペンター(大工さん)やジャクソン(ジャックさんの子孫)などです。姓(名字)に関する概念は「その人の家門を表す文字や言葉」が使われるということで万国共通であるみたいです。
あなたの姓(名字)の由来も調べてみると、あなたの祖先の職業や居住地を知ることができるはずです。





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