三国志と日本の戦国時代
■ 三国志と日本の戦国時代
三国志と日本の戦国時代
三国志が2世紀後半から3世紀後半なのに対して、織田信長や豊臣秀吉が活躍した日本の戦国時代(安土・桃山時代)は16世紀になります。時代はかなり離れていますが、個性豊かな英雄たちが割拠して争ったという舞台は同じですね。
はたして登場する英雄たちにも似た者同士はいるのでしょうか。今回は、三国志と日本の戦国武将のそっくりさんを探していきましょう。
三国志の主役である曹操のそっくりさん
■ 三国志の主役である曹操のそっくりさん
三国志の主役である曹操のそっくりさん
三国志の主役であり様々な分野でその才能を発揮したのが「曹操」です。
戦略面や謀略面、政治面だけでなく、漢詩などの芸能面、敵であっても能力のある者を重く用いる人事面、そこには既存の常識にとらわれることなく革命的で自由奔放な曹操独特の姿が見られます。
共通項が多いのは日本の戦国武将では「織田信長」ではないでしょうか。
その一つは人々の固定観念を打ち破る発想と実行力です。さらに木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)のような身分の低い者でも実力主義で起用し、出世させている点も似ていますね。そして、外交におい四方八方を敵に回してもなかなか同盟を結ぼうとしない点もそっくりです。敵対勢力に対して大虐殺を行ったという経歴も類似していますね。
三国志演義の主役である劉備(玄徳)のそっくりさん
■ 三国志演義の主役である劉備(玄徳)のそっくりさん
三国志演義の主役である劉備(玄徳)のそっくりさん
人望と仁徳によって、むしろ売りの身の上から蜀漢の皇帝に即位したのが「劉備」(玄徳)です。軍師である諸葛亮を三顧の礼で迎えています。最終的には諸葛亮の忠告を無視する形で孫権を攻めて大敗しました。後継者に実子の劉禅を指名しており、養子の劉封は後顧の憂いを断つために処刑しています。
状況がそっくりなのは農民から関白にまで登りつめた「豊臣秀吉」でしょうか。主君が滅びて浪人の境遇となった竹中半兵衛を、まさに三顧の礼で迎えています。後継者に実子の豊臣秀頼をすえるために、関白であった養子の豊臣秀次を処刑しています。最後は無益な朝鮮出兵を敢行して多くの損失を生んでいます。
呉を建国した孫権のそっくりさん
■ 呉を建国した孫権のそっくりさん
呉を建国した孫権のそっくりさん
孫権の家臣団といえば江東の名士の連合ですね。家臣には孫権に匹敵する統率力や発言力を誇る周瑜や張昭がいました。特に張昭は孫権に対して歯に衣を着せぬ物言いで主張することが多かったようです。大喧嘩を繰り広げたこともあります。
戦国武将で似ているのは「徳川家康」でしょうか。家臣の三河武士も頑固者がそろっていましたし、実際に一揆に加わって徳川家康に逆らった者もいます。軍師役の本多正信がまさにそれに該当しますね。一度は出奔し、後に許されて徳川家康のもとに帰参しています。
孫権は合肥攻めでは張遼に追い立てられて命からがら逃げ延びていますが、武田信玄に敗北した際の徳川家康も同じように必死に逃げて一命をとりとめました。
三国志の後半の主役である諸葛亮のそっくりさん
■ 三国志の後半の主役である諸葛亮のそっくりさん
三国志の後半の主役である諸葛亮のそっくりさん
劉備(玄徳)に三顧の礼で迎えられた諸葛亮は、見事に天下三分の計を実現させ、劉備(玄徳)の勢力を拡大しました。諸葛亮抜きで、蜀漢の建国は成し得なかったことでしょう。
日本の戦国武将では誰でしょうか。知略に優れ、物腰も柔らかといえばやはり「今孔明」の異名を持つ「竹中半兵衛」ですね。活躍についての詳細はフィクションの要素も多いといわれていますが、軍略だけでなく将来を見通す目も超一流でした。最期が陣中で病没という点も諸葛亮との共通点になりますね。
できれば竹中半兵衛にももっと活躍してほしかったのですが、残念ながら若くして亡くなっています。彼が長命であり、豊臣秀頼を補佐していれば歴史はかなり変わったのではないでしょうか。
三国志最強の呂布のそっくりさん
■ 三国志最強の呂布のそっくりさん
三国志最強の呂布のそっくりさん
奉天画戟を手にして赤兎馬に乗って縦横無尽に戦場を駆け回る三国志最強の「呂布」。
このそっくりさんを探すのは難しいですね。何せ呂布は二度も主君を裏切り、その手にかけています。
ここはかなり意見が分かれるところでしょう。性格的には美濃のマムシと呼ばれた「斉藤道三」が似ているような気がしますね。斉藤道三は武勇の腕前もなかなかのものだったそうですが、さすがに呂布と同格とはいえません。
武勇からすると名槍・蜻蛉切を手に、愛馬・三国黒に乗って活躍した「本多忠勝」かな、と思いますね。無敵を誇る本多忠勝は戦場に臨んで生涯一度も傷を負わなかったと伝わっています。織田信長にも豊臣秀吉にも、最強と謳われた武田軍からも高い評価を受けました。
ドンピシャのそっくりさんは見つけられませんでした。
死後、神として祀られた三国志の関羽のそっくりさん
■ 死後、神として祀られた三国志の関羽のそっくりさん
死後、神として祀られた三国志の関羽のそっくりさん
呂布に匹敵するほどの武勇を誇り、さらに忠義に篤かったのが「関羽」です。
荊州の司令官として曹操の領土を攻めた際には、曹操に遷都も検討させたほどのプレッシャーを与えています。受けた恩義をしっかり返すのも関羽の魅力で、赤壁の戦いに敗れて落ちていく曹操を見逃したのも関羽でした。以前の借りを返したのです。
この圧倒的な存在感を持つ日本の戦国武将といえば「上杉謙信」ではないでしょうか。野心よりも義に篤く、長く敵対していた武田勢の困窮に手を差し伸べたのも上杉謙信でした。敵に塩を送るという言葉の由来ですね。織田信長は上杉謙信の上洛を恐れて贈り物をして機嫌を取り、一方で安土城を建築して備えました。かなりのプレッシャーを感じていたようです。
まとめ・意外にそっくりかも
■ まとめ・意外にそっくりかも
まとめ・意外にそっくりかも
こうしてあげてみると意外に共通点が多くて驚きました。こじつけではなく「曹操」「劉備」
(玄徳)「孫権」は、「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」に似ていると思いますね。呂布は難しかったです。ここは異論も多くあるでしょう。
他にも三国志の英雄には「周瑜」がいます。日本の戦国武将で似ているのは「毛利元就」でしょうか。寡兵ながら謀略と水軍を駆使して陶晴賢を破った厳島の戦いは、まさに曹操の大軍を周瑜が破った赤壁の戦いさながらです。
四世三公の名門「袁紹」は、日本の戦国武将だと「今川義元」でしょうか。袁紹は大軍を率いながら烏巣の兵糧拠点を襲撃されて曹操に大逆転されてしまうのですが、今川義元も大軍を率いながら織田信長に桶狭間で急襲されて敗れています。
探していくとまだまだそっくりさんはいそうですね。
「武田信玄」や「伊達政宗」のそっくりさんもいるのでしょうか。