三国志の君主をキングダムの国に置き換えてみた

三国志の君主をキングダムの国に置き換えてみた

最近キングダムが爆発的な人気を集めているため中国史に目を向けるという人が少なくないのでしょうか。ここでは漫画キングダムと三国志を国と軍という面でとらえ共通点を紹介します。いずれも面白い面があるので是非ご覧ください。


秦は曹操軍

秦は曹操軍

秦は曹操軍

キングダムで秦と言ったら王が優れている、有能な武将が次々と誕生している、国土が豊という良い点が揃っています。しかし物語の前半では呂不韋が中で国を乱しているため足を引っ張られる要素が多々ありました。これを三国志に置き換えると曹操軍に似ていると思います。
曹操(猛徳)は悪い噂が立つことも多いですが人材投与に優れていて、優れた丞相だったといえるでしょう。負け戦もありますが、やはり曹操(猛徳)でなければあそこまで国は成長しなかったのではないかと思っています。
同じように秦も新王・政がいたから国が大きくなったと言っても過言ではありません。
そして反抗勢力である呂不韋と司馬一族も似ています。呂不韋は結局国を乗っ取ることはできませんでしたが、司馬一族は国を乗っ取り、国名を魏から晋に変えています。結果は違えど、両国の歩んだ道のりは似ています。
もしキングダムを読んでいて三国志を全く知らないという人はそういう視点で見ると三国志も楽しめるのではないでしょうか。

韓は袁術軍

韓は袁術軍

韓は袁術軍

キングダムで弱小国と言ったら韓が真っ先に挙げられるのではないでしょうか。キングダムで韓の露出は今のところあまりありませんが、秦VS合従軍の際には韓軍は毒を使う小賢しい国という印象を与えました。
三国志で韓と似たような国は?と問われると私は袁術軍を推したいと思います。袁術(公路)は親の権力で持っていたような君主で、我儘で武力に富んではいないが姑息な手を使うといった感じであまりいい話は聞きません。
そういうせせこましさがなんとなく韓に似ていると思ってしまうのです。
もちろん反対意見もあると思いますが独断と偏見で言わせていただくと似ているなぁというのが正直な感想です。

斎は劉表軍

斎は劉表軍

斎は劉表軍

今現在発行されているキングダムで最大の見せ場の一つと言えるのが秦VS合従軍です。主人公信のいる秦国が斎以外の六か国から同時に攻められてしまいました。元々斎はこの合従軍に関わるはずでしたが、斎王の独断と偏見で参加しないことに。後々秦王・政は斎が加わっていたらどうなっていたか分からないと発言し、感謝の念を伝えました。
理由は違えどこの「戦に積極的に参加しない」という態度を見せる君主が三国志にも存在します。それが劉表(景升)です。彼は袁紹(本初)と曹操(猛徳)の覇権争い(言ってみれば三国志の序盤で頂上戦争が行われました)
チャンスで攻めず、「優柔不断」というレッテルが張られましたが彼にはきっと何かしらの魂胆があったことでしょう。
劉表(景升)が亡くなったらすぐに曹操の軍に吸収されてしまいましたが、彼の時にそうならなかったのはやはり劉表(景升)の威厳や存在感という者があったのではないでしょうか。
そう考えると斎王と劉表(景升)は似ていると思ってしまうのです。

趙は劉備軍

趙は劉備軍

趙は劉備軍

キングダムで趙と言ったら秦のライバル国で趙三大天・李牧、同じく三大天・龐煖のインパクトがものすごく強い人が多いのではないでしょうか。類まれなる能力の高さで他を圧倒しことごとく秦の前に立ちはだかる最強の敵として君臨しています。
これを三国志に置き換えると劉備軍です。劉備軍はあまり大きな国ではないにもかかわらず劉備軍は諸葛(孔明)、関羽(雲長)と言った英傑ぞろいでまさに少数精鋭と言った国です。
こういう国は主人公の国にしやすく、三国志でも劉備(玄徳)のいる蜀に焦点を当てられ物語が進められたリ、劉備軍の英傑たちだけよく書かれていることは多々あります。
キングダムで趙は敵国ですが違う見方をしたら主役になりえる国だと思います。

楚は袁紹軍

楚は袁紹軍

楚は袁紹軍

キングダムで楚は超大国で秦VS合従軍の際でも最も強い国という位置づけで攻めてきました。しかし次々と大将が倒され結局合従軍を勢いづかせることが出来ませんでした。そして今のところ大国、大国という割には(あくまでキングダムが発行されている48巻までという訳ですが)大きな動きを出しておらず、そこまで強くないんじゃないか?という印象しか与えていません。
袁紹軍も同じで超大国でありながらこれと言った見せ場を出すことが出来ず反董卓連合の盟主として出陣した袁紹(本初)の求心力がなくあえなく瓦解、官渡の闘いでは人数的には圧倒的に多かったのにもかからわず最強のライバル曹操(孟達)にあっけなく敗れ早々に三国志の舞台から姿を消さざるを得なくなりました。
今後の展開により見方が変わるかもしれませんが似たようなものは感じられるのではないでしょうか。

燕は黄巾賊

燕は黄巾賊

燕は黄巾賊

秦VS合従軍の時と言い、趙VS燕でも「燕は何してるの?」という位キングダムでは連戦連敗しているのが燕です。燕の将軍オルドは勝気な性格ですが、戦績を挙げられず結局戦で失敗に終わるという印象を持たされている人は多いと思います。
三国志で黄巾賊がこのようなポジションではないかと思っています。各地で反乱を犯していた黄巾賊は自信満々で戦を始めゲリラ戦を繰り広げていました。
しかし結局相手への驚異になる物の何を成し遂げるということもなく終わってしまい最終的にはいつの間にか舞台から消えてしまっているのが黄巾賊です。
2つともあまりいい意味で物語に爪痕を残すことが出来ないところが似ていると思います。

魏は呂布軍

魏は呂布軍

魏は呂布軍

魏火龍七師、呉鳳明と言ったインパクトあるそして結構腹黒いといったイメージを与えて物語を楽しませてくれるのが秦の隣国、魏です。常に秦とせめぎ合いをし、趙国同様キングダムを楽しませてくれている国です。
こういった腹黒さ、一人一人の強さが際立つという意味では三国志では呂布軍に似ています。呂布(奉先)は裏切りを繰り返し信用のおけないやつというレッテルを貼られています。
しかしその強さと狡猾さはやはり魅力で「悪い奴」としながらも呂布のファンという人は少なくないです。「少々の悪があってもそれを上回る強さがあれば求心力がある」というのを見せつけてくれる魏と呂布軍は(呂布軍と言っても主に呂布(奉先)ですが)そっくりと言ってもいいと思います。

まとめ

まとめ

まとめ

キングダム国と三国志の軍の似ている点を挙げてみました。キングダムで「この国が好き」という思いがあっても三国志は知らないという方はぜひ三国志も読んでみてはいかがでしょうか。似ているところ、違うところがあり興味をそそらされることだと思います。キングダムも三国志も面白いのでどちらかしか知らないという方はもう片方も読んでみることをお勧めします。





この記事の三国志ライター

関連するキーワード


漫画 演義

関連する投稿


横山光輝の三国志が初心者にお勧めとされる理由

ゲーム、漫画、小説…。様々なフィールドで題材となっている三国志ですが、多くの人にとって「入口」となったのは横山光輝の漫画・三国志なのではないでしょうか。60巻もの長編ですが、なぜ初心者向けと言われているのか。理由を探ってみました。


あの曹操を困らせた左慈のマジックって?ゲームや漫画での活躍も

峨眉山で30年間修行していた方術士・左慈。三国志演義では、魏のリーダーである曹操をマジックでもてあそんだことで知られています。現代でも注目されそうなマジックだけでなく、ゲーム『真・三國無双』シリーズや漫画『三国志』での活躍もご紹介します!


知っていたらかなりの通!?片山まさゆき『SWEET三国志』1/3

1990年代に描かれた片山まさゆきの三国志ギャグ漫画『SWEET三国志』のご紹介、3部構成のその1です。


幻の傑作漫画・片山まさゆき『SWEET三国志』2/3

片山まさゆきの三国志ギャグ漫画『SWEET三国志』のご紹介、3部構成のその2です。三国志の物語としてはかなり盛り上がる、群雄割拠が描かれるあたりの話になります。


可笑しくも物悲しい結末・片山まさゆき『SWEET三国志』3/3

片山まさゆきの三国志ギャグ漫画『SWEET三国志』のご紹介、3部構成のその3、完結篇です。現状の入手方法についてなども説明していきます。


最新の投稿


袁氏滅亡 ~郭嘉、北天に散る~

河北の雄・袁氏、ついに滅亡。骨肉相食む泥沼の抗争と、その裏で糸を引く曹操の非情な智略。北天の果て、道なき道を進む軍勢の前に、若き天才軍師・郭嘉が命を賭して遺した「最後の献策」とは?覇者が流した生涯一度の慟哭が、乱世の終わりと新たな戦乱を告げる。歴史の分岐点を描く、渾身の書き下ろし。


平原の相・劉備玄徳が“英雄”へと覚醒した瞬間

「北海の孔融が、この劉備の名を知っていたか?」泥水をすすり、民と共に生きる。 それが、若き日の劉備玄徳が選んだ「覇道」とは真逆の道でした。まだ何者でもなかった劉備が、ただひたすらに「義」を貫いた、この平原時代が愛おしい


孫権「決意の誕生」江東の虎、野に放たる

【孫家三代】虎の魂、覇王の夢。そして若き碧眼児が選んだ「守る」という最強の戦い。「攻めるは易く、守るは難し」三国志の歴史、ドラマチックかつ過酷な「事業承継」の物語が呉の国を作りました。


最凶の暴君・董卓、 養子・呂布による衝撃の「裏切り」と連環の計

かつてこれほどまでに民を震え上がらせ、そしてこれほどまでに無惨な最期を遂げた男がいたでしょうか。 後漢末期、腐敗した王朝にトドメを刺し、恐怖のどん底に突き落とした「魔王」董卓。彼の天下は盤石に見えました。しかし、その崩壊は身内から、しかも最も信頼していた「最強の息子」の手によってもたらされたのです。


関羽「刮骨療毒」名医・華佗の技術

樊城の戦火が夜空を焦がす中、関羽の右腕を貫いたのは、ただの矢ではなかった。 肉を裂き、骨にまで届く毒。名医・華佗が「骨を削り、毒を断つしかありません」と言う。関羽は、碁を打ちながら笑みを浮かべて「痛みなど、意志の前では塵にすぎぬ」と言った。 英雄の強さとは、剣の冴えではなく、痛みを静かに受け入れる心だった。


アクセスランキング


>>総合人気ランキング