西暦219年、樊城の戦いで関羽が戦死した。関羽は、魏軍の守る荊州の樊城を攻め、于禁らを破った。しかし、呉軍の呂蒙らが魏に呼応して関羽の背後を突き、関羽は捕らえられて斬られた。なぜ、関羽は孫権の裏切りにあって殺されなければならなかったのか。複雑な戦いの経過を紹介する。
まるでコント!語り継がれてきた 桃園の誓い 三兄弟の姿とは?
『三国志演義』には作者・羅貫中の創作がさまざま盛り込まれており、劉備(玄徳と関羽、張飛の3人が志を確かめ合い、義兄弟の契りを交わす“桃園の誓い”もそのひとつ。羅貫中は民間伝承も参考にしたそうなのですが……。さて、桃園の誓い、桃園三兄弟は中国の人々の間でどのように語り継がれてきたのでしょうか?
関羽、男として魅力的。義の人、一騎当千。曹操、悪党のイメージ強いです(泣)。策略家、女好き、等関羽に比べあまり印象が良くないです。この二人を主人公にした映画から、曹操の片思いに重点を置いて観てみようというこの企画。宜しかったら最後までお付きお願いします。
曹操配下の将軍の中でもトップクラスの評価を受けるのが張遼だ。幾度か主君を変えた後に曹操に巡り合い、武名を大いに轟かせる。最後まで前線に立ち続けた武人の生涯をたどる。
三国志は今から約1800年前、昔の中国の史実です。(史実を元にした小説でもあります。)役人のわいろなどが横行し、治安の乱れた世を正そうと同じ志を持った若者3人が出合うところから三国志ははじまります。この出会いのシーンで最も有名なのが「桃園の誓い」なのです。