魏・呉・蜀漢が100年近くも争い続けた三国志も、蜀漢が滅び、魏は晋に禅譲し、残るは呉のみ。最後は呉が武帝(司馬炎)率いる晋に滅ぼされ、中国が統一されて終わります。これは正史でも演義でも同じです。最後の舞台となった晋と呉の決戦はどのように繰り広げられていったのでしょう!?
今の時代だったら結婚相手の他に妾が一人でもいるという男性はまれで時には非難の矛先となってしまいます。しかし、江戸時代には「大奥」があり、言い方は悪いかもしれませんが、将軍は多くの女性を「囲って」いました。三国志の時代にもそういった制度はあり「宮女」と言い多くの宮女を囲っていた者もいます。ここでは君主や武将がどのような女遊びをしていたか紹介したいと思います。
劉備(玄徳)の師で三代に渡り天下に名が響いた盧植と子孫たち②
後漢王朝で高名な学者・政治家となった盧植は、子孫たちも優秀な人材となっています。子の盧毓や孫の盧欽も政治の中枢を担い、魏の皇帝たちからも信頼を得ていました。そんな盧植の子孫、盧毓・盧欽を紹介していきましょう。
三国志は、結局、魏に取って代わった晋が天下を統一して終わります。曹一族の力がなくなった際に司馬一族が台頭し権力者を味方につけたのです。その後、司馬炎が、呉を滅ぼしたわけですが、今回はこの司馬一族について着目してみましょう。