三國志 董卓・袁紹・公孫瓚 名士との関係は深い方がいい? 浅い方がいい?
黄巾の乱から始まった三国時代。最初にチャンスを掴んだのは董卓でした。彼は強固な涼州兵を背後に名士を挙用し政権を確立していきます。 袁紹はその董卓を打つ為に結集した反董卓軍の盟主でした。彼もまた名士を挙用し、政治を行いました。 この袁紹と何度も戦った公孫瓚は逆に、名士を排除し抑圧し、董卓、袁紹とは真逆の政治を行おうとしました。 しかし、ご存知の通り三者とも覇権を争うも道半ばで夢は潰えてます。 彼らの政権に深くかかわってきた名士。 実はこの名士を抜きに政権を築くことは、容易な時代ではなかったんですね。
漢室(後漢王家)は後継者に恵まれず、時代を経ると傀儡化されて実権を外戚と宦官に握られるようになります。後漢末期には外戚、宦官以外の官吏にも渡り、もはやその威容は名ばかりのものに。本記事では後漢王朝を荒廃させた宦官と官吏について解説します。
三国志時代では当たり前?日本人には理解しがたい宦官という役職とは?
宦官とは去勢を施した官吏のことを指します。日本人には理解しがたく、なんでこんなシステムがあるんだ?と思う人は多いでしょうけど、実はこの宦官のシステムは日本以外の東アジアで行われていました。特に中国では古くから存在し、歴史を担っていたと言っても過言ではないポジションでした。
三国志は後漢王朝が滅亡し、魏・呉・蜀の三つの国が興って晋に統一されるまでの物語です。魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備(玄徳)は後漢末期に割拠した英雄たちの一部です。本記事では後漢王朝が自ら招いた乱世の要因や事件を書いていきます。