鶏肋

鶏肋

鶏肋とは、にわとりのあばら骨を意味する言葉です。
にわとりのあばら骨のあたりは、骨に肉がちょっとついているので、鶏がらとして出汁を出してスープの材料にされるものです。


鶏肋 (にわとりのあばら骨)

鶏肋 (にわとりのあばら骨)

鶏肋 (にわとりのあばら骨)

基本、鶏肋(にわとりのあばら骨)についている肉は食べるほどの量はないので、食事調理には使われない。
そこから転じて「捨てるには惜しいけど大して役には立たないもの」という意味で使われます。

これが三国志の時代、謎解きのようなエピソードを生むことになります。

蜀 魏 漢中争奪戦

蜀 魏 漢中争奪戦

蜀 魏 漢中争奪戦

時は、三国時代、漢中争奪戦、蜀にとっては重要な地、217年冬から219年5月にかけて、劉備は漢中を手に入れるために曹操軍との決戦に臨んでいました。

この戦は、3つの段階に分けられます。
劉備軍が全面進撃するも、曹操軍の積極的な防御により挫折する。
劉備軍が兵力を増やして集中攻撃を仕掛け、定軍山で曹操軍を大破する。
曹操軍の主力が漢中に到着するも、劉備は守備を固める。

その最終段階で、魏軍側で、このエピソードが起こります。

魏軍は全体的に負け戦が続いていました。
・瓦口関
・葭萌関
・天蕩山
を瞬く間に失い、
その後曹操自身が40万の大軍を率いて戦いに挑むも、蜀軍10万相手に大苦戦します。
・定軍山(夏侯淵が打ち取られる)
・南鄭城
・陽平関
まで失ってしまいました。
斜谷で押し返していたのですが、大軍ゆえに兵糧も苦しくなっていました。

曹操は意地でも軍を進めたいが、馬超に拒まれています。
退却しようと思えば、劉備軍に嘲笑われプライドを傷つけられる。

鶏肋 と 楊修

鶏肋 と 楊修

鶏肋 と 楊修

この時、夕食に鶏肉のスープが運ばれてきました。
スープには「鶏肋」鶏のあばらが入っていました。
曹操が悩んでいる最中の出来事だったので、きっと、気晴らしにでもと思ったのかもしれません。

その時、武将の夏候惇がテントに入ってきて夜間の暗号を訪ねました。
曹操が無意識に「鶏肋」と漏らしていました。
それを聞いた夏候惇はそのまま「鶏肋」と伝えるよう発令官に命令を出してしまいました。
もちろん夏侯惇は「鶏肋」の意味がわかっていませんでした。

しかし、頭のいい楊修という部下が、その言葉を聞き、撤退のお考えです。
と言うと、夏候惇はびっくりして、楊修に理由を聞きました。
楊修は「今夜の暗号で、曹操が近いうちに撤退するに違いないと思います。鶏肋とは、食べるほどの肉(寒中の魅力)もないが、捨てるには惜しいものです。軍を進めることができず、今は退却すれば笑われることが嫌なだけなので、ここにいても利があまりなく、必ず近いうちに撤退するでしょう。」と言いました。

夏候惇は、「あなたは曹操の心を読めているんだな」と納得し、将兵たちは皆、撤退の準備をし始めてしまいました。

この行動に、自分の真意を見抜かれた曹操は、その頭の良さを恐れた楊修を、軍の士気を下げたという理由で処刑してしまいました

最後に

最後に

最後に

これは曹操が楊修を処刑した理由ですが、実は、曹操は前から楊修に対して不満がたまっていたというエピソードがいくつかあります。(別の機械に)

結局、敗戦した曹操は、楊修の言葉を思い出し軍を撤退させ、後に無駄に犠牲になった彼の遺体を丁重に葬ったそうです。

『三国志演義』に出たこのエピソードは、
楊修が自分の才能に溺れ、上司の意図に合わせないという、ちょっぴり自己肯定の感情をだし可愛げのない、部下らしくないことをしてしまい上司の嫌味を買ってしまった。
また、その一方で、曹操の心の狭さ、疑い深い臆病さ、それに、才能を持つ人に対する嫉妬もあり、このようなエピソードになってしまったのだと思います。


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