三国志の歴史には様々な土地やお城が出てきます。多くの武将がそこを訪れ、戦いを繰り広げたり生活を送ったりしました。
しかし、三国志の歴史は遥か昔の話で、今はすでに形を変えている場所も多く、痕跡などが残されているものは少ないです。
では、実際にそんな武将たちが訪れた土地は今はどうなっているのでしょうか。多くの戦いがあった三国志の歴史の中でも大きな出来事があった土地をピックアップして紹介します。
張飛廟(ジャンフェイミァ)
■ 張飛廟(ジャンフェイミァ)
張飛廟(ジャンフェイミァ)
ここは三国志の中でも劉備が率いていた蜀に関連しているスポットとなっています。ここは蜀の武将であった張飛が祀られている場所となっており、各所に設立されているものとなっています。中には張飛に関する歴史的モニュメントや張飛の人となりを知ることが出来る歴史書などがあり、張飛の全てを知るのであればここに来るべきと言っても過言ではない場所となっています。
三国志でも有名なイベントでもある「桃園の誓い」のエピソードなども記載されている壁画などもあります。「桃園の誓い」は蜀を率いていた劉備と張飛と関羽が義兄弟の契りを結んだ出来事であり、蜀の歴史の中でも重要なターニングピントとも言われています。蜀の義理堅い風潮を代表する出来事でもあり、正史にもゲームにもしっかりと描かれていることが多いです。
このモニュメントの大きさや存在感からいかにして張飛がすごい人物だったのかというのが分かることでしょう。
赤壁古戦場
■ 赤壁古戦場
赤壁古戦場
三国志の中でも特に有名であり、劇的であった戦いの中に「赤壁の戦い」があります。これは曹操率いる魏軍と劉備率いる蜀、孫権率いる呉軍の連合軍による戦いでした。
蜀軍と呉軍が火計などの様々な策を活用して、魏軍に勝利して、魏軍は自分たちの土地に帰っていったという結果に終わった赤壁の戦いですが、日本では「レッドクリフ」として映画化されているほど有名な戦いとなっています。
三国志の歴史の中でも一番の見せ場となった戦いといっても良いのではないでしょうか。そんな赤壁の戦いですが、三国志の名所として今も跡地が残っています。それが「赤壁古戦場」です。
現在ではテーマパークとして扱われており、実は当時の建造物や戦場の時に利用されていた陣地も復元されています。三国志の中でも生きていた武将たちの彫刻などが展示されており、現代的な公園になっています。近くには三国志の時代から現在まで変わることなく流れている長江(揚子江)を視界に入れながらゆったりとするのも良いでしょう。
壁には「赤壁」の文字が書かれているのですが、長江の水位次第なので運がよければ見れる、運が悪ければ見れないといった状態です。三国志の歴史の中でも大きなターニングポイントとなっているため、ぜひとも見ておきたいポイントでしょう。
もし、「赤壁」の文字が見たいのであれば、前日に降雨量などをチェックしておき、降雨量が少ない日に訪れることをオススメします。
成都武侯祠
■ 成都武侯祠
成都武侯祠
現在の中国の中では「三国志の聖地」と言えばこことなっているのが「成都武侯祠 」です。ここは蜀を率いていた劉備と蜀の軍師として歴史上の中でも頭のキレる人として有名な諸葛孔明が眠る場所として利用されており、今でも観光客が絶えることはありません。
もともと蜀の都は別の場所に成都(せいと)という名前でありました。しかし、成都は現在の中国の四川省の省都となっており、発展し続けています。発展し続けた結果、現在は大都市となっており、過去の歴史は残せない状態になってしまっています。そのため、旧城跡などはどの位置にあったのかなども全くわかっていない状態となっています。
その中でもこの「成都武侯祠 」は蜀の武将の多くが祀られているとされており、園内はとても広くミュージアムなどもあり三国志の歴史を勉強することができたり、当時の武将たちの偉人伝など語り継がれているスペースもあります。三国志を勉強しているという人であれば一度は訪れたほうが良いスポットと言えるでしょう。
また、この施設の近隣には錦里という三国時代の雰囲気を作った商店街や関羽の死を劉備が嘆いた場所、孔明が作った九里堤などもあるため、三国志好きにはたまらないスポットになっています。
白帝城
■ 白帝城
白帝城
現代に残っている遺跡の中でもかなり綺麗な形状のまま残っているものの一つです。長江の流れている近くにそびえ立っている城であり、歴史の中でもかなりターニングポイントとなった場所でもあります。
ここは関羽を討たれてしまい、呉に復讐すべく軍を立ち上げた劉備が呉に破れてしまった際に逃げ込んだ場所として有名になっています。呉軍は蜀軍と連合軍を組んでいましたが、その後に蜀軍を裏切り、関羽を殺害します。これに激怒した劉備が関羽の敵を討つべく、軍を立ち上げて呉軍との戦いに挑みますが、呉の陸遜の軍略にハマってしまい、見事に敗北します。
この敗北と失望感から劉備は病気がちになってしまいます。その後、諸葛孔明に蜀の後世を託して劉備は他界しました。その舞台がこの「白帝城」となっています。
この白帝城は三峡ダムの建設が近くであったため、周りの景観が一変しています。ここだけが浮島のようになっており、当時の景観とは異なっていますが、白帝城の中は当時の生活や劉備の状態などもしっかりと表現されています。
また、三峡ダムの工事の影響もあり、現在は遊覧船に乗って城の中まで入ることができるようになっています。これもまだ風情があって、現代ならではの楽しみ方とも言えるでしょう。
まとめ
■ まとめ
まとめ
今回は三国志の舞台となった場所や土地が今現在どうなっているのかを紹介しました。中国も先進国ということで三国志の時代にあったものはなかなか残っていないようです。すでにビルが立っていたり、城跡がすでに壊されていたりすることも多いです。
しかし、そんな中でもモニュメントや史跡としてわずかに残っていたり、祠として祀られていることも多いため、三国志を感じられるようなスポットは今現在も残しているものがあるようです。
中国に行った際は三国志巡りの旅と表して、三国志にまつわる様々なスポットを巡ってみるのも良いかもしれません。自分の知らないような歴史やその当時の空気感も感じられるかもしれません。