髀肉之嘆

髀肉之嘆

実力を発揮する機会に恵まれず嘆くこと。
むなしく日々を過ごす状況。


髀肉之嘆

髀肉之嘆

髀肉之嘆

皆さんは、髀肉之嘆(ひにくのたん)という故事成語を聞いたことがありますか?

この故事成語は劉備にまつわる逸話から生まれた言葉で蜀の劉備が、曹操と戦って敗れた呂布を匿い客分としてもてなしたのでしたが、攻めのぼってきた袁術に内通した呂布に謀られて、本拠を襲われ、妻子を人質に取られてしまったのでした。

仕方なく劉備は、呂布に降伏を申し入れ、妻子を返してもらうという惨めな結果に終わり、呂布に降伏した劉備は、小沛に駐屯させられました。

劉備は屈辱にたえながらも、そこで兵を募のり続けてその数は1万にまで達しましたが、それを知った呂布に攻められ、敗れた劉備は曹操をたよって許都へ行きました。

曹操もまた劉備が呂布に対してしたように自分が破った呂布をかくまった劉備を咎めないばかりか兵力や兵糧の世話までもし、劉備とともに呂布を滅ぼしたのでした。

曹操は、劉備にその功績を称えて左将軍に任じて、さらに優遇したのでしたが、献帝からの曹操誅伐の密勅をうけた劉備は、呂布が劉備にしたように曹操に反旗を翻すべく画策を始めました。

しかしそれから間もなく曹操から袁術討伐を命じられ兵を引き連れて、劉備は袁術討伐に出発したのでしたが、許都では曹操誅伐の計画が発覚して関係者は処刑されてしまいました。

一方で劉備は、討伐の標的であった袁術が病死したため、戦闘になることなく、徐州に入り、小沛に拠って公然と曹操に反旗を翻したのでした。

しかし、劉備にはまだ曹操とまともに戦う力が無く、曹操が当時最大の敵だった袁紹と戦うために備えていた軍を劉備討伐に向かわされ、劉備の軍は敗北し妻子と関羽が捕らわれてしまいました。

かろうじて脱出した劉備は、一時曹操の最大の敵とされる袁紹の元に身を寄せて、軍の別働隊として曹操の軍の背後をおびやかせていましたが、官渡の戦いで、袁紹は曹操に大敗し、劉備も南へと逃れ、荊州の劉表のもとへ身を寄せると、広大な地域の全域を平定していた劉表より、南下してくるかもしれない曹操に備えて新野に駐屯させられたのでした。

以来数年間、劉備はそこで鳴かず飛ばずの歳月を送ることになりました。
この時に髀肉之嘆(ひにくのたん)という故事成語が生まれたそうです。
ある日、劉表に招かれた酒の席で劉備は自分自身の怠けた体を憂い、「私の身は、いつも馬の鞍から離れず、股の内側に肉がつくことなどなかったのに、こんなに贅肉がついてしまった。

月日が流れるように過ぎ、年を取っても功績をあげられない。
ただただ悲しい」と劉表に嘆いたとされています。
その逸話によって実力を発揮する機会が得られないまま月日が過ぎるのを嘆くことを髀肉之嘆と言われるように なったそうです。

しかし、その鳴かず飛ばずの数年間は劉備にとって無駄に終わったのではなく、荊州でゆっくりと自分を見つめ、じっくりと大局を考えるゆとりができた劉備は以後、自分自身のこれまでの考え方を変えてむやみやたらに駆けずり回ることをしなくなり、活躍をしていったのでした。

日本でも“急がば回れ”という諺がよく聞かれますが、この劉備の髀肉之嘆(ひにくのたん)からは、ただの現状の嘆きという意味だけでなく、そこから得られた自分自身の心の余裕があったからこそ、故事成語として今日に残っているのかもしれませんね。

参考文献:
ボキャブラリーが増える故事成語辞典(主婦の友社)
中国故事成語辞典(角川書店)
三国志故事物語(河出書房新社)
三国志 (演義)





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