今さら聞けない三国志の疑問「どんな時代の話?なぜこんなにも面白い?」

今さら聞けない三国志の疑問「どんな時代の話?なぜこんなにも面白い?」

三国志の小説やドラマなどをひと通り見てきたけれど、話の内容はだいたい理解できているが時代背景や物語の進み方が蜀目線で進められていることに疑問がある方はどれくらいいるでしょう?
本記事ではそのような今さら聞けない三国志の疑問についてご説明いたします。


あなたは本当に三国志を理解できていますか?

あなたは本当に三国志を理解できていますか?

あなたは本当に三国志を理解できていますか?

最近は華流(中国)ドラマや漫画でも三国志以外の時代劇が世に出回り、一般的に知られるようになっています。具体的な作品名を例にするなら春秋戦国時代の秦を描く「キングダム」や五胡十六国時代を描く「蘭陵王」、殷が周にとって代わる動乱期を描く「封神演義」などです。
さて、あなたはこれらの作品がいつの時代を舞台としていて、誰もしくはどこの国を主役として描かれているのか説明することができますか?

三国志の舞台はどんな時代だったのか?

三国志の舞台はどんな時代だったのか?

三国志の舞台はどんな時代だったのか?

三国志の舞台である中国の「三国時代」と呼ばれる時代とは、220年の後漢滅亡から280年に晋によって中国が統一されるまでの時代のことを指しますが、三国志の舞台となるのは184年に勃発した「黄巾党の乱」から280年に司馬懿の孫の司馬炎が中華統一するまでを描く、およそ100年間のことです。
同じ頃の日本はと言えば、弥生時代の後期です。大きな集落が国へと発展し、国同士が覇権を巡る戦争を繰り広げていました。ちょうど黄巾党の乱が起きていた頃は倭国大乱と呼ばれる内乱が起きており、日本と中国はともに乱世を迎えていたことになります。そんなときに登場するのが邪馬台国の女王卑弥呼です。卑弥呼が女王に就任すると卑弥呼に従属したがる国が続々と現れ、邪馬台国は10年ほどで80以上の国を属国とする大国となりました。また、邪馬台国の勢力が拡大したことで徐々に覇を唱えようとする国がいなくなり、倭国大乱は鎮まりました。
卑弥呼は239年に魏に使者を派遣、朝貢して金印や銅鏡を授かっているため、日本も三国志のなりゆきに少しは絡んでいます。

黄巾党の乱を機に群雄割拠の時代に突入

黄巾党の乱を機に群雄割拠の時代に突入

黄巾党の乱を機に群雄割拠の時代に突入

中国に話を戻すと、25年に建国された後漢王朝は4代皇帝の和帝の頃から政治が乱れ始めます。その原因は、皇后一族と宦官による政治の私物化でした。
この混乱に乗じ、太平道という宗教結社を創始した張角が、後漢のイメージカラーである赤に代わる黄色の天下を目指し、黄色の頭巾を頭に巻いて武装蜂起しました。これが黄巾党の乱です。乱そのものはすぐに鎮圧されましたが、これを契機に各地の豪族が勢力を拡大、後漢の衰退は決定的なものとなりました。
そうした地方豪族の1人にすぎなかった董卓は、いち早く後漢の首都洛陽に攻め入り、後漢を牛耳ることに成功します。これに反発した他の豪族たちが各地で挙兵、名門出身の袁紹(本初)を中心として反董卓連合軍が結成されることになりました。
劉備(玄徳)、曹操(孟徳)、孫堅(文台)ら三国志の主役たちは、この反董卓連合軍に加盟して歴史の表舞台に登場することとなります。
彼らは離合集散、結託と裏切りを重ねながら、中国統一という野望に向けて激しい戦いを展開していくことになります。こうして、100年にわたる壮大な三国志のストーリーが始まりました。

三国志の「三国」が持つ意味

三国志の「三国」が持つ意味

三国志の「三国」が持つ意味

三国志の三国は蜀、魏、呉の三国が争ったという事実以上のものが込められています。
袁紹(本初)を盟主として結集した反董卓連合だが、袁紹(本初)は董卓の力を恐れてなかなか戦おうとしませんでした。もともと利害の一致しない者が集まった連合軍は、やがて自然消滅するかのように解散します。
そうした中で、果敢に董卓と戦った曹操(孟徳)は支持を得て、急速に勢力を拡大していきます。後漢最後の皇帝である献帝を擁した曹操(孟徳)はその後ろ盾を利用して河南から山東までを統一します。
200年、なんとキリのよい数字なのでしょうか。この年曹操(孟徳)と袁紹(本初)は北方の覇権をかけて対決します。これが官渡の戦いです。10倍もの戦力差をはね返してこの戦いに勝利した曹操(孟徳)は、華北も平定して一代で圧倒的な大勢力を築きました。
一方荊州を領有する劉表の傭兵隊長となっていた劉備(玄徳)は、漢王朝の復興という大義名分のもと、「三顧の礼」得て天才軍師、諸葛亮(孔明)の力を借りて徐々に勢力を伸ばしていきます。

劉備(玄徳)、孫権(仲謀)と結託して魏に対抗する

劉備(玄徳)、孫権(仲謀)と結託して魏に対抗する

劉備(玄徳)、孫権(仲謀)と結託して魏に対抗する

劉備(玄徳)は南下してくる曹操(孟徳)に対抗するため、父と兄の死後呉の主となり江東を支配していた孫権(仲謀)と手を結びます。
その背景には、諸葛亮(孔明)が劉備(玄徳)に献策したものとされている「天下三分の計」があります。「天下三分の計」とは、天下を統一して後漢を復興するという劉備(玄徳)の覇業を成し遂げるためには、まずは孫権(仲謀)と手を結んで曹操(孟徳)の南下を食い止め、劉備(玄徳)、曹操(孟徳)、孫権(仲謀)の三名で中国を三分割して支配すべしといものでした。かくして曹操(孟徳)率いる魏軍と劉備(玄徳)・孫権(仲謀)の連合軍は赤壁大戦で激突し、数の上では不利だった連合軍が勝利を収めました。曹操(孟徳)は一時勢力を失い、トップを独走していた天下統一レースから大きく後退することになります。
一方、劉備(玄徳)は諸葛亮(孔明)の計略によって漁夫の利で荊州南西部を奪取。他の二大勢力に肩を並べるだけの国力を持つようになり、天下三分は現実のものとなっていきます。
このように三国志とは、蜀、魏、呉の三国が覇権を争った話です。しかし、三国志は蜀、魏、呉の3つだけでなく、漢、晋などの国。国にはならなかったものの多数の勢力が複雑に絡み合って抗争を繰り広げたから、「三国志」は単なる国盗り物語にとどまらない実に魅力的なテーマとなり、現在でもさまざまな形で人々を魅了しています。

三国志演義は史実とフィクションの絶妙ブレンド

三国志演義は史実とフィクションの絶妙ブレンド

三国志演義は史実とフィクションの絶妙ブレンド

三国志は陳寿が記した歴史書としての三国志と羅貫中が記した物語としての三国志演義があります。漫画やドラマの題材として取り上げられているのは三国志演義の方で、三国志演義は蜀を主役として物語が進んでいきます。
清代の学者、章学誠(しょうがくせい)によれば三国志演義は「7割の事実と3割の虚構で構成されている」といいます。他の中国四大奇書である西遊記、水滸伝、封神演義に比べると、三国志演義は全くのフィクションではなく、むしろ史実に非常に近い物語です。
三国志演義の面白いところは7割の史実をベースとして3割の虚構をところどころに散りばめ、登場人物たちを我々から着かず離れずの絶妙なポジションに置くことにより、読者が飽きない工夫がされています。三国志演義は歴史、バトル、政治、恋愛、戦略などさまざまな要素が盛り込まれている小説です。ひとつのテーマを書くのにも大変な労力を必要とするのにも関わらず、筆者の羅貫中はいともたやすく、読んでいて違和感がないように自然に場面を転換していく書き方をしています。
これらの要素がミックスされて三国志演義は大変面白い読み物となっています。

まとめ

まとめ

まとめ

今さら聞けない三国志の疑問について今回テーマとしたのは「三国志の舞台となった時代」と「三国志がなぜこんなに面白いのか」です。
三国志の時代は西暦184年~280年までの約100年間。そのころ我が国日本は邪馬台国の女王卑弥呼が台頭していた弥生時代の後期です。
三国志演義は史実とフィクションを絶妙にブレンドしつつ、さまざまなジャンルの要素をひとつに盛り込んだ歴史小説です。


この記事の三国志ライター

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