三国志 人物・武将

三国志 人物・武将

三国志に登場する「人物・武将」についての記事


三国志 人物・武将の記事一覧

三国志には感動エピソードがいっぱい!泣ける話5選を紹介!

三国志には、様々なエピソードがあります。勇猛果敢なエピソードや笑えるエピソードなど多岐にわたるのです。もちろん、泣けるような感動的なエピソードもあります。そこで今回は、三国志の感動的なエピソードについて紹介していきます。


最期まで忠義に厚かった猛将【ホウ徳】

馬騰・馬超親子や曹操の配下として活躍し、関羽と激闘を繰り広げたホウ徳。最期まで忠誠を貫き、曹操に涙を流させたほどの名将です。ここではホウ徳の武勇と戦いの軌跡を紹介していきます。


三国志・名声を曹操に認められた王脩とはどのような人物なのか?

三国志にはあまり名前が知られていないものの、優れた才能を発揮した人物がたくさん登場しています。今回紹介する王脩もそのひとりです。


曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

漢中平定を成し遂げ、さらに大乱戦の末、降伏には至らなかったものの呉に毎年貢物を献上させることを約束させた曹操(孟徳)は、216年に魏王を名乗ります。献帝が健在であるにも関わらず、その勢力はまさに日の出。いよいよ益州(蜀)を攻略すれば天下統一も目前…というところまで来ました。しかし、そんな曹操(孟徳)の前に奇妙な人物が現れ、次々に不思議な出来事が起こります。曹操(孟徳)にとっては吉兆かはたまた凶兆か…見て行きましょう。


もっと知ってほしい三国志後半の登場人物

三国志を知らない人でも劉備(玄徳)、諸葛亮(孔明)、曹操(孟徳)と言った名前は聞いたことがあると思います。しかし彼らは三国志の前半の方の登場人物で、特に諸葛亮(孔明)が死んでからは「そこで三国志が終わった」と思っている人もいることでしょう。ここでは三国志後半に出てきて、特に覚えておいてほしい登場人物について紹介したいと思います。


晋VS呉 三国の統一へ

魏・呉・蜀漢が100年近くも争い続けた三国志も、蜀漢が滅び、魏は晋に禅譲し、残るは呉のみ。最後は呉が武帝(司馬炎)率いる晋に滅ぼされ、中国が統一されて終わります。これは正史でも演義でも同じです。最後の舞台となった晋と呉の決戦はどのように繰り広げられていったのでしょう!?


三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志夢の対決「趙雲VS張遼」、「周瑜VS陸遜」、「曹操VS諸葛亮(孔明)」が実現した場合を想像してお伝えしていきます。


呉の建国に最も貢献した功臣【陸遜】④ 晩年を迎えて

魏との戦いにも勝利した陸遜は晩年に常勝となり、名実ともに軍務と政務で最高権力者となります。孫権からの絶大なる信頼を得ていましたが、後継者争いに巻き込まれてしまいます。不遇ともいえた晩年の陸遜の働きと跡を継いだ次男の陸抗をみていきましょう。


諸葛 孔明 どんな人?諸葛亮は本当に天才?実は多く失敗していた!

諸葛 孔明 どんな人 ?三国志で天才的な人物と言えば、諸葛亮を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。しかし、そんな諸葛亮も何度となく失敗をしています。実は、蜀が滅亡したのは、諸葛亮のせいだと主張する方もいるのです。そこで今回は、諸葛亮の失敗にスポットライトを当ててみたいと思います。


そこは違うぞ!!三国志のドラマや映画にひとこともの申す!

華流映画、ドラマでは三国志は人気の題材です。現地の監督や脚本家が筋書きや監修をしているので、私たち日本人はその描写を真に受けてしまいがちですが、史学的な観点から見ると「そこは違うぞ!」とツッコミを入れたくなってしまう描写が散見されます。今回はそういった相違点についてピックアップします。


三国志・曹操や孫策には評価されたが、孫権に疎まれた謀臣・虞翻

あまり知られていない謀臣に呉の「虞翻」がいます。彼の才は孫策や曹操に認めらながらも孫権には評価されず、不遇を強いられています。三国志演義にはほとんど登場しない虞翻の活躍ぶりを見ていきましょう。


なかなか聞けない三国志の常識を一挙公開

「三国志」ってよく聞くけどいったいどういう物なのかイマイチ分からない。もしくは「曹操(孟徳)が劉備(玄徳)を倒して天下統一を果たしたんだよね?」という人は少なからずいるとおもいます。他国の歴史なので知らなくてもそこまで恥ずかしいものではないかもしれませんが、ここでは「三国志においてまず知っておくべきこと」についてまとめてみました。三国志入門なのでここから三国志の世界を知ってもらえたら幸いです。


呉の建国に最も貢献した功臣【陸遜】③ 呉の重鎮として

夷陵の戦いで勝利し、続く魏との決戦に臨むこととなります。周瑜や魯粛、呂蒙といった名将たちが亡くなる中、呉の重鎮として軍務では三国一の能力を発揮していきます。蜀を率いる諸葛亮と和睦をしてからの陸遜をみていきましょう。


えっこんなに?正史と演義で差のある人物

三国志演義(正式名称:三国演義)は三国志正史を元に書かれた小説です。当然両者には差があります。蜀漢を正当とする演義では大活躍しても、魏を正当な王朝とする正史では、あまり目立たない人物も数多くいます。 どんな人物が当てはまるでしょうか?


三国志・諸葛亮(孔明)の評言を見抜き、豪語した任務を有言実行した甥の諸葛格とは

孫権から将来を期待された「諸葛格」。慢心過ぎる人物として人気がありませんが、確かな実績はあげています。今回はそんな諸葛格についてお伝えしていきます。


三国志・君主や武将の女にまつわるあれこれについて

今の時代だったら結婚相手の他に妾が一人でもいるという男性はまれで時には非難の矛先となってしまいます。しかし、江戸時代には「大奥」があり、言い方は悪いかもしれませんが、将軍は多くの女性を「囲って」いました。三国志の時代にもそういった制度はあり「宮女」と言い多くの宮女を囲っていた者もいます。ここでは君主や武将がどのような女遊びをしていたか紹介したいと思います。


孫権が天下を取れなかった理由!何が足りなかったのだろうか?

劉備(玄徳)や曹操らと並んで称されるのは、呉の孫権ではないでしょうか。三国志に登場する君主の中で人気のある1人ですが、なぜ孫権は天下を取れなかったのか気になると思います。そこで今回は、孫権が天下を取るのに何が足りなかったのかを紹介していきます。


冷酷非道なだけではない 曹操(孟徳)の慈悲心が垣間見られる漢中攻略

劉備(玄徳)が蜀漢を建国した翌年の215年、曹操(孟徳)は蜀漢討伐を目指しますが、まずは蜀の入口に位置する漢中を攻略すべく征西軍を編成します。険しい山岳地帯への行軍で緒戦は苦戦を強いられるますが、人的にも物量にも勝る曹操軍は次第に優勢となります。そして、そんな中で曹操(孟徳)は「冷酷非道」を行わず、むしろ慈悲心を見せる場面がたくさん登場します。この頃の曹操(孟徳)を見ると、一代で中国の3分の2を支配した「実力」に納得させられます。


呉の建国に最も貢献した功臣【陸遜】② 夷陵の戦いで大活躍

呂蒙の後継者となっていく陸遜は、劉備(玄徳)との一大決戦に臨みます。実戦経験が豊富な劉備(玄徳)に対して、まだまだ知名度も低い陸遜は大都督として呉の諸将を率いることとなりました。この夷陵の戦いでは陸遜の名が天下に知らしめることとなり、以降は呉の重鎮として活躍していきます。


三国志・動物に例えられる英雄たちの中で、呉の大物・諸葛瑾は何に例えられたのか

虎や龍、鳳凰や狼などに例えられる三国志の英雄たちの中で、呉の大将軍である「諸葛瑾」もまた、特殊な動物に例えられました。はたして諸葛瑾は何の動物に例えられたのでしょうか?


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三国志の魅力と登場人物で話題のキーワード


故事 三顧の礼 泣いて馬謖を斬る 苦肉の策(苦肉計) 破竹の勢い