裏切りの将(呂布・魏延・蔡瑁)

裏切りの将(呂布・魏延・蔡瑁)

三国志演義では裏切り者という印象の強い、呂布・魏延・蔡瑁。彼らは本当に恩知らずの裏切り者だったのでしょうか?それともそう描かれているだけなのでしょうか?もし、そうなら理由はあるのでしょうか?


呂布--裏切りの代名詞

呂布--裏切りの代名詞

呂布--裏切りの代名詞

呂布は三国志で最も裏切り者の印象の強い武将です。日本史で言えば明智光秀、世界史で言えばブルータス並でしょうか?あるいはそれ以上かも知れません。三国志演義では
「1」同郷である李粛に赤兎馬を餌に誘われ、義父である丁原を殺して、董卓に寝返った。
「2」王允の連環の計にはまり、貂蝉を巡って董卓と対立し、董卓を殺す。
「3」放浪しているところを劉備(玄徳)に迎え入れられて、客となっていたが、劉備(玄徳)が袁術討伐に出ると、留守の徐州を奪った。
と3回も大きな裏切りを繰り返しています。これらは全部正史に記載されているのでしょうか?
呂布が最初丁原に使えていたことは正史に記載されています。丁原は、十常侍の乱の頃、都で大きな兵力を持っていました。何進に呼ばれて都にやってきた董卓は丁原の兵力を奪おうと企みます。そこで、丁原の腹心であった呂布に丁原を暗殺させるという計略をたて、李粛を派遣し、成功します。赤兎馬を送ったという事実はありませんが、「1」は赤兎馬の箇所以外は、ほぼ正史に記載されている通りです。
正史では、董卓の侍女と密通して、董卓との仲が不穏なものになった呂布を王允が引き込み暗殺させたと記載があります。結果は同じなのですが、そのためのきっかけが演義とは逆になります。また、貂蝉は完全に架空の人物で、女性が原因で董卓と呂布の仲が悪くなったという、正史の記載の元に創作された人物でしょう。「2」は正史を元に脚色が大いにされたと言えます。
董卓死後の権力争いに破れた呂布は、各地を放浪した後、徐州の劉備(玄徳)に迎え入れられます。その徐州を巡って劉備(玄徳)と袁術が争います。呂布はその隙をついて徐州の州都である下邳を奪います。演義のように張飛が禁酒の誓いを破った隙をつかれて、徐州を呂布が奪うなどのドラマチックなシーンはありませんが、「3」もほぼ正史通りです。
こう見てみると、正史の呂布は裏切り者と呼ばれても仕方ないという人生を送ったと言えるでしょう。

魏延--諸葛亮を裏切った武将

魏延--諸葛亮を裏切った武将

魏延--諸葛亮を裏切った武将

演義に描かれている魏延は
「1」反骨の相がある。
「2」諸葛亮の作戦に従わない。
「3」諸葛亮死後反乱を企む。
など、裏切り者と呼ばれるにふさわしい姿です。
まず、「反骨の相」は劉備(玄徳)が長沙を攻め取った時に、太守の韓玄を斬って降伏してきた魏延の姿を見て、諸葛亮が言います。ところが、正史において彼の記載は、劉備(玄徳)の益州攻略に手柄があったというところから始まります。荊州南部の進行において、彼の記載はありません。なので、「1」は完全に演義の創作です。
時代は下って、蜀漢の北伐時に魏延が別働隊となり長安を落とそうと諸葛亮に進言したのは正史に記載されています。楚漢戦争時の韓信が行った作戦をやろうというのですから、魏延はよっぽど自分に自信があったのでしょう。そして、これが却下されるのも演義と同様です。自分の作戦が退けられたのですから、魏延はさぞガッカリし、恨み言の一つでも言ったかも知れません。ですが、その後諸葛亮の作戦に従わなった、などの記載は正史にありません。「2」は完全な創作というわけではありませんが、事実である部分は僅かのようです。
更に時代は下って、諸葛亮の死後、魏延は自分が蜀漢の軍を率いて北伐を続けようと主張しました。ところが、ライバルである楊儀が蜀漢軍をまとめて、引き上げてしまいます。魏延と楊儀はそれぞれ自分を正当化するため、皇帝劉禅へ自分こそ正義と上奏をします。そして、側近の蔣琬らが楊儀を支持したため、魏延は謀反人ということになり、最終的に馬岱に討ち取られてしまいます。「3」は裏切りと言うよりは権力争いに敗れたと言ったほうが正確でしょう。
以上を見てみると、魏延が裏切り者というのは演義での創作がほとんどです。何故そうなったのでしょうか?実は正史の蜀書で、魏延の列伝(皇帝の臣下の伝記)は「劉彭廖李劉魏楊伝」に入れられています。この伝は劉封・李厳・楊儀など蜀漢を裏切ったとされる者たちの伝です。正史の作者である陳寿が魏延をここに入れた理由はわかりませんが、それによって、演義における魏延が、裏切り者の要素を強く描かれたのは確かでしょう。

蔡瑁--荊州を曹操に売り渡した

蔡瑁--荊州を曹操に売り渡した

蔡瑁--荊州を曹操に売り渡した

蔡瑁が演義でしたと描かれていることは
「1」劉表の意に逆らい、劉備(玄徳)を暗殺しようとした
「2」強引に劉琮を劉表の跡継ぎにした
「3」曹操に降伏し、荊州を売り渡し、自分だけ出世した(主君である劉琮が暗殺された)
蔡瑁は劉表が荊州刺史として着任した際に、地元の豪族として協力しました。自前の兵力を持たない劉表にとってその協力は非常にありがたく、荊州平定において、大いに役立ちました。姉(妹?)が劉表の妻の一人になって、劉琮を産んだこともあり、蔡瑁の一族はますます栄えました。また、荊州は黄巾の乱、董卓の乱の影響も少ない方で多くの人民が避難して来て、繁栄しました。そんな折に荊州にやってきたのが、曹操との合戦に敗れた劉備(玄徳)です。劉備(玄徳)は劉琮の異母兄である劉琦の支持者でした。そこで蒯越と語らって、劉備(玄徳)の暗殺を・・・というのはかなり信憑性に欠けます。蔡瑁にとって劉備(玄徳)は目の上のたんこぶでしたが、暗殺しようとしたというのは正史にはありません。「1」はかなり怪しいと言えます。
曹操配下の賈詡にも指摘されましたが、劉表の大きな失敗は長男である劉琦を差し置いて、弟である劉琮を跡継ぎにしたため、お家騒動を招いたことです。演義では、蔡瑁が劉琮を後継ぎにしようとしたためとなっています。ところが、正史では劉表は病弱な劉琦ではなく劉琮を後継ぎにしようと早くから決めていました。当時は乱世でしたから劉表がそう考えたとしても何ら不思議はありません。蔡瑁のしたことは裏切りでも何でもありません。「2」は結果は同じですが、蔡瑁に裏切り者の汚名を着せるのは完全に濡れ衣です。
蔡瑁の後ろ盾によって劉表の後継者となった劉琮は曹操に降伏し、荊州を差し出します。そして、青州刺史に任命されます。演義では青州に行く途中に、曹操の命を受けた于禁によって殺害されますが、正史ではそのまま青州刺史になった後、順調に出世します。「3」に関して、後半部分は完全に創作です。確かに蔡瑁自身も出世しましたが(演義のように赤壁の戦いにおいて殺されることもありません)、自分だけではなく、主君の劉琮も同様でした。

まとめ

まとめ

まとめ

結局の所、三人共三国志演義の主人公である劉備(玄徳)、諸葛亮と対立したため、裏切り者という書かれ方をしたのでしょう。しかも、確かに呂布は劉備(玄徳)の領土である徐州を奪いましたが、魏延は諸葛亮に意見を却下されただけ、蔡瑁に至っては最初から劉表に仕えていて、よそ者の劉備(玄徳)と対立しただけです。後世に創作された三国志演義がいかに、劉備(玄徳)、諸葛亮の蜀漢を中心に書かれているかが分かります。


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